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2005/01/31

履歴-⑥ ベストタイム更新!!

tanigawa
2005年1月9日 第6回 谷川真理ハーフマラソン当日、とても寒い朝だがすっきりと晴れて風も無い絶好のマラソン日和だ、イベントステージでは「そのまんま東」や「長谷川 理恵」そしてメインの「谷川真理」がつぎつぎにあいさつをしている。去年は「石田純一」も参加したが今日は来てないらしい、ハーフマラソンの大会では最大の参加者だそうだ、人が何せ多い。去年以上だ1万人を越えると言うからすごい。
 今日の目標は2時間を切ることだ、前回は2時間8分なので何とか短縮したい。1時間前からアップを始める、
 スタートは中盤の下の方へ位置取りをする、前回は最後方からでコース幅が人数の割りに狭いので、追い抜くのが結構大変でタイムロスをして、折り返しタイムが1時間以上かかったのが反省点だった、それでも今回もスタートから5分はかかった。
 1㌔地点のタイムが6分40秒だ、今日の目標は1㌔5分なので徐々にペースを上げる、折り返し点で57分だからほぼ目標ペースだ、足がかるいので充分に2時間を切れるだろうと思いながら前の走者を追い抜いていく。
 15キロを過ぎた頃から、足に異変が生じペースが上がらなくなってきた・・・ハイペースのツケか?タイム的には1㌔を6分位でも充分2時間を切れるはず、しかし残りの3キロが10キロにも感じてどっと疲れが出てきた、残り1キロ1㌔8分に落ちる、もうだめだ(2時間は切れない!)2百メートル先がゴールだ・・・ゴール!!
 手動の時計が2時間3分40秒を指している。

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2005/01/29

履歴-⑤ 200キロを走る!!

昨年の11月の上尾マラソンでの不本意な結果をバネにして、12月から走りこみ1月9日の谷川真理ハーフマラソンでのタイム更新を目指すべく、月間で200キロを走ることにした。1週間に2回の休みで5週とすると1回20キロ、4回走ると10㌔だ、ともかくひたすら走ることを心がける。
 走るコースは定番の与野・浦和の荒川運動場付近の往復10㌔コース、新都心の周回5キロコース、大宮氷川神社の参道および大宮公園のランニングコースなどだ、また長距離コースの川越笠幡からさいたま市の25キロコース、そして今日選んだのは与野インター付近の大宮バイパスから戸田の笹目橋往復の24キロだ。
 今日は24キロを走る、ほぼハーフに匹敵する距離だ。自宅周辺でアップしたあとジャージでウエストポーチに入れた携帯のfmのJ-WAVEを聴きながら走り出す、カッパ寿しからバイパスの歩道を走り出す、ユニクロを過ぎ右手にホームセンターのドイトを見て高島平方面に進む、体が温まったのでジャージを脱ぎTシャツになる。与野公園脇を過ぎて浦和ロジャースのある交差点を過ぎるころ歩道の人手がすくなくなり大分走りやすくなる。
川口のロジャースの洗面所で水の補給をする、外環の高架の交差点を渡ると9㌔ほどここから戸田南をすぎて笹目橋に昇っていくと荒川が横たわっている。スタミナはまだ充分だ、5分ほど休憩をとり折り返す、このコースを選んだのは、距離があるので万が一に備えて埼京線とほぼ並行に走っていて電車で戻れるからだ。川口のロジャースを過ぎ田島団地を過ぎた頃、15キロの壁が速度を下げる・・・足が重たくなってきた・・・後ろから同年代の男性が僕を追い抜いていく、そんなに早そうに走っていないのに段々と姿が小さくなっていく。やがてゴールの与野インター付近に到着する。体が水気を欲しがる!最近できたジャスコに立ち寄る、土曜の夕方とあって結構な人出だ。食品売場の入口でデモをやっている、小さな容器に野菜ジュースらしきものが並んでいる、普段なら通り過ぎるのだが体が水分を欲しがっているので思わずオネエサンに「いただいてもいいですか?」と声を掛け『どうぞ』と言われる前に手に取りそれを飲み干す。さらに奥に進み果物コーナーにミカンの試食容器が置いてある、これも一つ二ついただく。
不運にも、財布を持ってこなかったのでやむを得ないし、家族が買い物に来ているから遠慮はいらないだろう。
大きな店なので、遊休スペースがたくさんありランニング後のストレッチも充分できた。
ありがとうジャスコさん!

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履歴-④ 完全復帰?

肉離れのリハビリ後、2004年9月から、5㌔、10月に10㌔と練習を重ね11月の上尾シティマラソンにエントリーした。
若干練習量が不足気味だが、なんとかベストタイム(2時間8分)を目標に走ることにした。荒川と違って上尾マラソンは町の中のコースを走るので、沿道の応援がたくさんあり、人の目が少し気になる・・・さっそうと走っていれば気にならないが、ゆっくりしか走れないので・・・。駅前通には神楽ばやしや、太鼓による応援が元気をつけてくれる、5㌔過ぎたが順調だ。目の前に同年代の巨漢の明らかにデブッチョの男性がすでに大汗をかきながら走っている、少なくても彼よりは早く着けそうだ、なにせ去年のこの大会順位が50代では僕より遅い人がたった4人だったから!(510人中506番目)、時折後ろを見るとやはりかなりの後尾を走っているらしい。あれっ向こうから1番で戻ってくるランナーがいる、まるで100mを走っているようだ。あっという間にすれ違い、とその後も次から次へと折り返してくる。折り返し地点を越え足が昨年より軽い事に気づきスピードを上げて走る。この先13キロ付近で去年は足が止まり歩いた記憶がある、その地点を過ぎて順調に走っていく「あと5キロだよー」と沿道のボランティアから声がかかる、スピードを更に上げる、大きな交差点を越えてあと3キロぐらいの地下道を越えたところで、足に異常を感じて一気にスピードがダウンした。「ナッ、ナンナンダ!」もうチョッとなのに今のペースではほぼ8分位なのに、でも必死に足を前に運ぶ、「ガンバレー!ガンバレー!」と沿道から声がかかる。あと1キロだがなかなか進まないし、やや意識も朦朧としてきた。無理はしないと思い、再び立ち止まってストレッチをし、ウオーキングしながら、残り500mを走り出す、陸上競技場へ到着しトラックを1週する意識朦朧、もうダメだ!あとチョッと、あとチョッと・・・・・・よたよた、ヘロヘロでようやくゴールイン!!飲み物をもらい飲み干しながらアンツーカーに仰向けになる!ボーとして声だけが聞こえてくる。「◎×%#=」目を開けると真っ青な空が見える。15分ぐらい経っただろうか?上から声が聞こえる「大丈夫!気持ちが悪くないですか?」『だっ、だいじょーぶぅ』「そろそろゴールにちびっ子が着きますので」と言われてチップを提出して着替えの場所へ戻る。腕の時計は2時間20分を指していた。
あとになって結果報告が届いた、2時間26分で 2629人中2587番目、50代では494人中490番目で今年も後ろから4番目だった。やはり練習不足が響いたか・・・・完全復活ならず悔しい!2ヶ月後の1月9日の谷川真理マラソンでこの汚名を晴らすと心に近い、ヒロちゃんと家に戻った。
因みにヒロちゃんのタイムは、1時間21分で 2629人中602人目、30代では734人中30番目だ。
ヒロちゃんに指導を仰ごう。

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履歴-③ その後の足習い

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そんな訳で、53歳の足習いがそれまでの生活をガラット変えることとなった。
走ることの快感を味わい、たくさんの汗をかき、その後のうまいビールを飲み、心地よい疲れで、早寝し、そして早起きになった。休みの日のウエアーはジャージが主になり、近場へのクルマの利用が減り、一駅二駅の歩きは苦にならなくたって来た。
その後の山登りは、ハヤミさんがいろいろと企画してくれた。
棒ノ嶺の次は、山梨県の百名山で瑞垣山と金峰山をテント持参で登り、初めてのテント泊を経験した。
登山口から富士見平まで僕はテントを担ぎ、両君は食糧などを手分けして担ぐ。ベースキャンプを設営し、デイバックでまず瑞垣山に向かう、岩だらけの登山道に石楠花が咲いている。大きな岩だらけの頂上に出ると展望がすばらしく八ヶ岳がすぐそこに横たわっている。ベースキャンプにもどり夕食の準備だ、ハヤミさんとヒロちゃんが用意した食材を調理する、ビール、ワインで焼肉パーティだ!夕方6時の温度は6℃でとても寒い。防寒具を着こんで宴が進む、こんな体験は今までしたことがない彼らと知り合ったことを神に感謝!
翌日早朝、金峰山へむかう・・・樹林帯をだいぶ昇っていくと視界が開け森林限界を越え尾根に出た。空は快晴で右手を見ると富士山が聳え立ち(写真右)、
まるで「いらっしゃい」をしてるようだ、周囲をみると360度の視界が開けまたまた感動だ!左下をみると昨日登った瑞垣山が岩だらけの山容を見せている。涼風の尾根を歩いている時が最高の気分だった。金峰山の頂上で昼食を摂り、下山し増富温泉で湯につかり疲れをとり帰路に着いた。

その後の仲間との山行は、武甲山、八ヶ岳山麓の日本最高所の本沢温泉雲上の湯(写真左)、へのトレッキング、秩父の岩登りの二子山、そして5月だというのに雪道をアイゼンで登った甲武信ヶ岳などである。
 休日が合わずに山登りは単独行が増えていった。日帰りでいける奥多摩の御嶽山、大岳山、御前山、三頭山、宝登山、そして百名山の筑波山、雲取山、赤城山、男体山、那須岳、日光白根山、北八ヶ岳の蓼科山、横岳、霧ヶ峰、中央アルプスの木曽駒ヶ岳など。
2003年の夏には九州大分の九重山(連峰)を知人と登り、翌年の2004年9月には知人たちと南八ヶ岳へ登り頂上小屋に泊まり、感動の御来光を拝むことが出来た。
またマラソンの大会出場は5㌔の荒川市民大会のあと富士五湖の「西湖SAIKO ロードレース」の1周10キロにエントリー52分の結果で1キロ5分強までとなった。その年の冬「上尾シティマラソン」のハーフにエントリーし、完走こそしたものの2時間34分で2498人中2484番目という成績に終わり、ハーフの壁に当たった。年明けの1月までに練習の距離を伸ばして「谷川真理ハーフマラソン」にエントリーし6846人中5833番目の2時間08分の結果となり先の希望をつないだ。
 よく月の2月にスキーで転倒してふくらはぎが肉離れとなり、マラソンの練習もできないまま約半年が過ぎてしまった。
 

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履歴-② 最初のマラソン

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2003年1月 『 荒川市民マラソンin ITABASHI ・・・3月23日』 の5㌔ にエントリーした。
インターネットのマラソンサイト「RUNNET」にアクセスして申込み、セブンイレブンで3500円入金しエントリー完了となる。
きっかけは、それまではハヤミさんひろちゃんたちの走る姿を見て、只 応援するのはつまらないと思い立ち、チョッとその辺をジョギングするだけで、3日坊主にならないよう敢えて公式大会にエントリーしたわけである。
3500円を無駄にするわけにもいかず、とりあえず完走を目標に「楽しく走る」ことを心がけ練習することにした。
ランニングウエアはアシックスのジャージの上下があるし、ウインドブレーカーも娘の高校時代の校章が左胸に縫いこまれてはいるが、サイズが丁度いいので、校章だけ取って使うことにした。ランニングシューズと大会で走るウエアが無いので大宮駅下にある「B&D」でニューバランスのランニングパンツとシャツ、そしてランニングシューズを選ぶ、どれを選んでいいのか迷っていたら、各種シューズが並んでいる上に 1キロ3分位で走る人用、6分位で走る人用表示があり、当然後者のニューバランスの4E で、底厚のクッション吸収タイプ(14800円)を購入した。
次の休みから練習を開始した。最初は200メートルも走るともう疲れて立ち止まってしまう、なんで何キロも走れるんだろう?と思いつつ、3500円をどぶに捨てるわけにもいかず、数日置きにジョギングに励んだ。その甲斐があって1㌔ぐらいは苦も無く走れるようになった。そしてエントリーの5㌔を練習距離として、荒川土手や大宮公園内のコースや、新都心周回などを走りこみ心地よい汗をかけるようになった。タイムはおよそ35分ぐらいだから1キロ7分ぐらいだろう、荒川市民マラソンの昨年のタイムを見ると、50代の平均よりかなり遅いことが解かった。負けず嫌いの性格が目を覚まし、次の練習からスピードを上げて走ることを心がけた。当時の体重が64キロ体脂肪27%で少々重い体だったこともあり、走り方が「ストライド」で、着地の際に体重が足にかかったためクルブシを痛めてしまった。走ることができず、翌日整形外科で診てもらったら、3月の大会は無理だろうと言われ目の前が真っ暗になった。3500円はどうなるのか?返金はしてもらえるのか?ダメだ。
大会前1週間にウオーキングをしてみる、痛みは感じない、体重をかけない走りなら大丈夫かも?と思い出場することを決めた。当日の朝、自転車で行くことを決める、足首を温めておけば痛みが和らぐと思い荒川へ向かう。
1万人以上が参加するビッグな大会だ、荒川の橋に差し掛かった時眼下に大勢の群集が河川敷を埋めている。
自転車を停め、エントリー案内のハガキを受付に提出しゼッケンなど一式を受け取る。ひろちゃんやハヤミさん達は42.195キロのフルマラソンにエントリーだ、現在の僕には考えられない40キロも走るなんて!
ランニングシャツにゼッケンを付け、ウオーミングアップをする、ついゼッケンに書かれた同年代に意識する。走りなれた風のランニングパンツを穿いた筋肉質の5005番、体重75キロぐらいありそうなデブの3546番。
スタートは完走目的だと言い聞かせて最後尾からゆっくり行こうと心に誓う、無理して途中棄権は絶対避ける。
総勢500人くらいか? 目標タイムは30分ぐらいで走れればいいだろうと思いながらスタートする。天気がいいので気持ちがいい、順調だ!くるぶしに負担をかけないように走る、2.5キロの折り返し地点だ全くの問題もない!競争心が呼び起こされた!スピードを上げてみる、以上は感じられない、さらにスピードを上げる、一人抜き又一人と一気に追い抜いていく、全速力で今までの鬱憤をはらすように走る!残り200メートルはさすがにバテてしまった。
タイムは28分台でゴールできた。目標の30分は達成できたのでとりあえず満足。

こうして、手習い いや!足習いのマラソンにはまり込むきっかけとなったはじめての公式大会であった。

 

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2005/01/27

履歴-① 最初の山登り

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2003年 7月の夏、ハヤミさんから山登りの登山計画書がファックスで送られてきた。
目的地は秩父名栗村の「棒ノ嶺」、スケジュールや準備するものが詳しく記されていた。
休みの日に、山登り用具をアウトドア用品店で買い揃えて当日を待った。
早朝の6時に僕のビッグホーンでヒロちゃんと一緒に出発し、ハヤミさん拾って目的地の名栗村へ向かう、
8:30に「さわらびの湯駐車場」に車を停めて、ダムの横を通り9:00「白谷沢登山口」に向かう。
真夏だが、杉やヒノキの木々が灼熱の太陽を遮ってくれるので涼しくは無いが暑さはそう感じない。
最初の勾配は緩やかだったのが段々と昇っている実感が出てきた、定期的に先頭のハヤミさんが休憩を入れる。
多分、ぼくのスタミナを気遣っているのだろう、いらぬお世話だ余裕綽々なのに・・・心に思う。
11:00岩茸石に到着。しばらくすると沢の音が涼しげに聞こえて心地よい風が吹き上げてくる、・・あぁ涼しい思わず
声を出す。その後アップダウンを繰り返すうちに少々ふとももに違和感を覚えてきた、ボディーブローのように効き出してきた。「余裕綽々なのに・・・」と思ったことが恥ずかしいと思った。ゴンジリ峠越えと頂上手前の木製階段の昇りがめちゃくちゃきつく、数歩昇ると立ち止まる。こんな1000m満たない山なのに! 
12:00に頂上広場に到着すると、すでに5~6組の登山客が昼食を摂っている。
汗を拭き着替えを済ませ僕らもランチタイムだ。ハヤミさんが缶ビールとおしんこと冷たいトマトを頂上にある木製テーブルに出し、僕の初登頂を祝ってくれた、乾杯!!おにぎりとおしんことビールがこんなうまいもんだと思わなかった。
この山の頂上は東京都の「棒の折山」と埼玉県の「棒ノ嶺」が同居しているヘンな山だ。
頂上で小一時間休憩し、下山開始した。あとの楽しみは温泉だ!
 残り30分ほどになった頃、突然カミナリが鳴り出した!「ゴロゴロ、ピカッ」空は真っ暗になる。リュックには一応レインウェアを入れてあるが、もう少しだから・・と思っているうち、「ザー」と雨がいきなり降ってきた、「ゴロゴロ、ピカッ」「ザー、ザー」あっという間に下りの登山道が川になってくる。急いで下るが足が滑ってすってんころりん、バケツをひっくりかえした量の雨が頭から落ちてくる、「ゴロゴロ、ピカッ」「ザー、ザー」カミナリはとどまる気配は無い、天国から地獄へ突き落とされた感じだ。そのうちカミナリも遠ざかり小雨になったところで森林から脱出してさわらびの湯温泉にたどり着き、無事雨に打たれた体を温泉で温めお互いの無事に感謝し湯上りのビールで乾杯し、今日の総括を行った。
 翌日から数日間 膝上、膝横の筋肉痛がひどく、階段は後ろ向きで降りるほどだった。

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2005/01/25

足習いの履歴書

yatu27hinode-s ≪八ヶ岳の赤岳頂上小屋からの日の出・・2004年7月9日午前4時半頃≫
2002年 53歳にして32歳の若い友人たちと出会ったのがきっかけで、山登りに参加するようになった。
2002年 夏、彼らは最初の登山を秩父名栗村の「棒ノ嶺」という、比較的低い山を選び、僕を誘ってくれた。
2003年 その後も、夏から秋に関東近郊の山々をいくつか一緒に参加させてもらった。冬から春、彼らはマラソンをする、筑波マラソン、荒川市民マラソン、などなど...。
2003年 春、そんな影響を受け、荒川市民マラソンに自ら5㌔に初エントリーし、結果は28分のタイムだった。走ることの楽しみが増え、気持ちのいい汗をかき、目標をフルマラソン完走に置いてハーフマラソンでの経験を積むことを誓い休日には走る習慣がついた。
2004年 夏から秋、山登りはその後、単独行が増え、狂ったように夏から秋は百名山を登破し、これもまた頂上での爽快感の味をおぼえ病みつきになった。
2005年 冬、4年後の現在57歳、マラソンはハーフで2時間3分がベストタイム。
2005年 登山は百名山16山を含む44山を登り、「夏秋は山登り、冬春はマラソン」のパターンが定着しつつある昨今である。

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