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2006/07/29

シチ×シチ×シジュークまで!!

2006年7月29日(土)

一週間(シチにち)が経った。あと六週間までが、【忌中 】で、フミナリさんが冥土へたどり着く
期間で、それまでは線香を絶やさず、「ナムー!!」と祈る。

聞いてはいたが、娑婆での後始末が結構世話で、区役所へ行ったり、社会保険事務所へいったりと
公休日のほとんどがそれに費やされる。

来週いっぱいは、後始末に追われそうなので、その後、梅雨も明けるだろうから涼しい山へ弔いに行こうと思う。

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2006/07/25

娑婆最後の日!!

2006年7月26日(水)

 Ji1

おとといの通夜、そして昨日の告別式を終えたあと、浦和の火葬場で荼毘に付され、
1時間後、跡形も無くなりそこへ残った軽い骨だけが、【89年の人生がやっと終わった】と物語る。

かたわらでは、まだなあにも解っていない4歳のseiちゃんと、1歳のkeiちゃんが、不思議そうに骨を見る。
この子達はいったいいくつまで生きるのだろうか?

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2006/07/23

フミナリさんの弔いラン10キロ!!

2006年7月23日(日)

Mayoke

フミナリさんの今日は、旅立ち準備の日だ。
昼過ぎに、納棺の儀の専門のスタッフ男女が、やってきてフミナリさんの体を清め、
寝巻きを白装束に着替えさせる。
そのあと、お清めお酒を飲んで、我々遺族も参加して、旅立ちの準備を手伝う。
女性スタッフは、フミナリさん最後の髭を剃り、時間をかけて化粧を施し、色男に変身させる。
我々は足袋を履かせ(左足に右の足袋を右足に左の足袋を)、手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)を付け、
最後に冥土の三途の川渡し賃の六文銭を印刷した紙、冥土での生活費の五円玉、食料のお米を入れた頭陀袋(ずだぶくろ)を首から吊り下げて、旅支度を完了。
そのあと、お棺にフミナリさんを納めてから、頭の上に編み笠を、足元にわらじを入れる。
まるで、冥土へのタイムカプセルだ。人様の葬儀に参加したときに、見るお棺と同じ状態だ。
これで明日の通夜、あさっての告別式に備える。
1時間ほどで、準備は完了し、桐のお棺の上に魔よけの剣が置かれた。
丸一日以上、家に居続けたので、少々苦痛を感じてきた。式次第の段取りも終わり、特別することも無くなったのと、槍ヶ岳山行疲れもとれたので、夕方から渋滞する国道ぞいを10日ぶりに走った。

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2006/07/22

葬儀スタイルは家族葬にした。

2006年7月22日(土)

フミナリさんが家に戻って二日目。

午前中に、葬祭業者との見積もり説明を聞く。
すでに昨夜から、業者とのかかわりが始まっている。
死亡した患者はいつまでも病院へは置いておけない、だいたい2時間位までなので、
病院で紹介してもらうか自分の関わっている業者に依頼するかを選び、自宅へ連れ帰るのだ。

僕の場合は後者を選び、以前母親の葬儀にお願いした業者へ連絡した(時間は問わない)。
自宅へ搬送してもらい、床をしつらえ、来客に線香を上げてもらう段取りの一切を行ってもらう。
すでに夜中の2時を回っていた。

そして今日、まず打ち合わせの前に、夕べ、フミナリさんの体に乗せたドライアイスを交換する。
もちろん夏なので、常に冷やしておく必要があるからだ。加えてエアコンも稼動させておいた。
線香とろうそくの火は絶やさない。

今回の葬儀は予てから考えていた【家族葬】で行うことにした。
フミナリさんの子供である、僕と姉、そしてその家族とフミナリさんの義弟夫妻の5家族の10数名だけだ。
隣近所へは、その旨を伝えておくつもりである。
故ふみえさんの時は、僕の仕事関係者なども参列していただいたが、なんとも複雑な思いがしたものだ。
母親の葬儀でありながら、母親となんら関わりのない方が参列していいものか?と。

そんな思いが常にあったのと、まったく友人・知人などの交友関係が無いフミナリさんの葬儀なので、
じっくりとフミナリさんの話を、良く知った家族だけで、あーでもないこーでもないと言ってあの世へ送り出してやるのも言いかと思い、勝手に決めた。
親戚にも連絡しないの?との声もあったが、説明して納得してもらった。

祭壇に飾る生け花の、贈り主名を入れたボードも止めにして、花だけを飾ってもらうことにした。

我が家はお寺さんを持っていないので、通夜・告別式の読経依頼を業者に依頼し、戒名をもお願いした。
一式で35万円とのこと。仏の弟子になるのも金がかかるのだなぁと、思いながら母親にしたのに父親にしないわけにいかないので、お願いすることにした。
結局、見積もり合計は、お寺さん35万とは別で50万になった。

先んじて、船橋の二家族と、叔父がフミナリさんに逢いに来てくれたので、
葬儀日程が月、火と決まったことをを伝える。


今夜もフミナリさんの横で、休むことにしよう。


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フミナリさんが死んだ!!

2006年7月22日(土)

Sennkou

大正6年生まれの巳年で、満89歳のフミナリさんが数時間前に死んだ。
最近は、通常食が喉を通らずむせて、とても苦しそうだった。
食べ物を飲み込んで食道に送り込む筋肉が弱っているかららしい。
それで気管に入るのを防ぐために、流動食を摂るようになった。
数日前、かなりの高熱を出し、検査すると胸に水がたまっているとのことで、
今日、医者に、肺炎を併発する可能性が大で、超赤信号状態であることを告げられた。

この病院で丸 4年間暮らした。
最初は、家で転んで骨折の疑いで、入院したのが始まりだった。
入院した日は、「オレ、うちに帰る!」といって泊まることを拒否した。
しかたなく、嫁のもーちぃが一緒に泊まる羽目になった。
そして、一日経ち、二日経ち1週間ほどで、病院に慣れたのか、家族に執着しなくなった。
「じぃちゃん、帰るからね!」
『あぁ、わかった!』と自分の居場所がこの病院だと認識したらしい。
入院前から、奇行というほどではないが、真夜中に家を出ようとしたことや、
数キロ先まで歩いて、カゴを押しながら、出先で転んで、通りすがりの人から電話を貰ったこともある、
など、精神状態がそれまでと変化してきた。
精神がまともなころは、一言でいうと「憎たらしいじじい」だった。
それが、自転車に乗れなくなってからおかしくなった。乗ってもすぐに倒れるようになった。
カラダが言うことを聞かなくなってきたことを本人もショックだったらしくて、
そとへでかけることも少なくなり、家でじっとしてるようになった。
その後介護認定を受けると、介護度 3の認定で『ボケ』も進行してきた。
そして、家の中で転んで、入院することになり、今日までの4年間ここで暮らしてきたのだ。
最初の2年間はいつも元気で、病院の看護士さんやヘルパーさんから可愛がられ、
いつも頭をなでて貰うなどして楽しそうだった。
正直、ほっとした。
ここでは、とっかえひっかえヘルパーさんたちと接触しているので、自宅の自分の部屋でジッとしているより
いいかも知れないと思った。
週に2度ほど会いにきた。
「まんじゅう持ってきたか?」『ああ、いつものやつ』
といって、まんじゅうと、おやつを差し入れるのが常だった。
病院ではあるが、老人ばっかり入院しているところなので、老人娯楽イベントもよく催していた。
それが、3年経たとき風呂場で転んで骨折してしまい、それ以来ベッド生活を余儀なくされたのが衰えを増す原因となった。
人間からだが駄目になると、こころもそれ以上駄目になる。
それまでは、面会にいってもすぐに 【倅】を認識してたのに、だんだんと忘れていく。
そして、だんだんと赤ん坊にもどるように、寝ている時間が長くなる。
そして、人生を終える。
でもほんとの人生はとうの昔に終わっていたと思う。「憎たらしいじじいでなくなっていた時に・・・・・」

おつかれさん!≪合掌≫、今夜は一緒に・・・・・


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2006/07/20

予備日は雨音で惰眠をむさぼる!!

2006年7月20日(木)


Rarimap

槍ヶ岳から穂高岳縦走で3日と予備日1日の4連休をとったが、雨で縦走を諦めたので、結果予備日は2日となった。
つまり休みが2日増えたのだ。
お陰で、満身創痍の体を回復するには丁度良かった。
家人には、「槍から穂高へ縦走!なんて威勢のいい事言って、だらしないわね!・・・もっと年配の女性が平気で登っていたって聞いたわよ!」
『いやぁ、あの人達は途中の小屋で泊まってきたんだよ!』
何を言っても所詮言い訳だ。
被害は、肩痛、臀部から下半身の総てが筋肉痛、更に両足首に登山ぐつが擦れて水膨れが、そして足裏の靴ずれだ。

下界へ降りても、雨はいつまでも降り続く。
祭日の17日、有給休暇の18日の二日とも、雨・雨・雨が降り、まるでゆっくり休みなさいと槍ヶ岳のご加護かなと思い、雨音をBGMに惰眠をむさぼる。
起き上がる時、歩く時、動作のたびに筋肉がきしむ。
予備日の二日間が経ち、結局更に二日後の今朝やっと完全復活に至った。

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2006/07/17

殺生ヒュッテが叫び泣いた夜!!・・・槍ヶ岳山行録

2006年7月15日から16日


◆ 7月15日(土)
  天気は曇りで、そのうちまちがいなく雨は降ってくるだろう。沢渡(さわんど)から30分弱で上高地バスターミナルへ到着すると、すでに登山客が結構いる3連休の初日だからだろう。(午前 5時34分)060715kamikoticenter_1

  悪天候が予想されるので、とにかく早く到着したいので、横尾までの11キロは道もひろく勾配も少ないので速度を上げて歩き、3時間のところを2時間強で進んだ。
  すぐに河童橋から穂高を眺める060715kumohotaka_1
があいにくの雲、さらに進んで明神では石碑を見上げると、明神岳が聳え立っている。060715myoujinntake_1
徳沢までは奥上高地自然探勝路になっていて道が広く気持ちいい樹林帯の中を進む。060715yokoohe

  徳沢から15分ほどで新村橋の分岐で、060715sinmurahasi
橋を渡れば涸沢方面、我々は梓川に沿って進むと屏風岩が大きくなり横尾へ到着。 午前8時6分060715byobunokasira_1

 このあとから雨が降ってくる、レインウエアを着て、一の俣、二の俣を渡ってしばらくすると槍沢ロッジに到着。
本降りの雨になる。(午前9時30分)060715yarisawalodge

 樹林帯を通り、開けたところにいくつかのテントが張られている、石積みの壁が残っている赤沢岩小屋だ遠景に槍ヶ岳が見えるはずだが・・(午前10時28分) 060715akazawaiwagoya_1

 槍沢に沿って1時間後、コースに大雪渓が立ちはだかる。(午前11時47分)060715sekeihajomari_1

 軽アイゼンを持っていたが、装着せずに登って行く。大曲を過ぎてしばらくして雪渓を抜け、天狗ヶ原分岐から北へジグザグを登ってモーレーン台地の上に出る。雨はさらに激しく降る。
 疲労と70リッターのザックが応えて足にダメージを与える。若者たち(35歳)はまったく影響も感じさせずに、僕を思いやってくれるが、更に二つの雪渓越えで殺生ヒュッテにヘロヘロの態でたどり着く。
 相談の上、僕だけが殺生ヒュッテで泊まり、明日槍ヶ岳山荘で合流することに決め、彼らと別れた。(午後2時30分) 殺生ヒュッテ料金(2食8400円に弁当代で9000円)
 足がすでに筋肉痛になり、ヒュッテ小屋の部屋までの階段も堪えながら登る。
 時間がまだ早いので、テレビのある食堂へ行き、ストーブを囲み外国人の若者二人と夫婦連れの会話に加わる。
 外国人の一人は10年滞在で、もう一人は10ヶ月だという、しかも先週初めての山登りで富士山に行ってきたという。ロンドン子で仕事は映像関係の仕事らしい。
ご夫婦は、川越の方で百名山を結構登ってるらしく、結構楽しい会話が弾みあっという間に夕食の5時になった。060715sessyohuttejpg_1

 夕食は5時、朝食も5時 、消灯が8時が決まりだ。乾燥室があったのでズボンとTシャツを乾かす。
 全身が筋肉痛で今晩回復しないと、槍ヶ岳を断念しなくてはならないので午後6時に床に就き、睡眠をたっぷり摂る予定だ。
 消灯後、激しい雨音に加え、ヒューヒューと風が小屋を叩く、まるで殺生ヒュッテの昔に、猟師に皮を剥がされた動物たちの叫び泣きにも聞こえる。
 音はいつまでも止まない、そのうち眠りについた。
◆ 7月16日(日)
  トイレに起きたときは音は止み、外も白んできた。時間は4時だ。味噌汁のにおいに誘われて、朝食前に食堂に下りる。
 5時前に朝食をたっぷりと摂る、何とか復活したらしい。弁当をもらい午前5時44分にヒュッテを後にして槍ヶ岳山荘へ向かう、雨は相変わらず降り続いている。 060716yarigatake_he_1

 30分後、槍ヶ岳山荘に到着し仲間と合流、ザックを置いて本丸の槍ヶ岳頂上へよじ登っていく、ありの行列のように整然と上へ上へと鉄はしごや鎖、最後のはしごを上り3180mのトップに立つ。
 三人で握手して登頂を喜ぶ。(午前6時34分) 060716yaritophirohayami_1060716yariojyo_1060716yaritophokora_1


 雨と風の危険な槍ヶ岳の狭い山頂で、霧に眺望を遮られて何も見えない。
 下りのハシゴを慎重に降りていく。060716yarioriru_2
 山荘に戻り検討した結果、天候も回復しないことが判り、穂高縦走を断念し、来たコースを戻ることにした。
 下山前に、ロンドンボーイに会い、シャッターを切る。 060716londonboys_1
彼らは南岳へ向かうというので握手して別れた。「気をつけて!See you!]
午前7時に下山開始、殺生ヒュッテ(午前7時23分)、韓国からのツアー客らしき団体と混ざって、下っていく。
 モーレン台地を過ぎ、大雪渓を下る(8時51分)、060716sekkeidown_1060716sekkeihiro

下山は軽アイゼンを装着して長い雪渓を慎重に降りていく、後ろを降りかえると、入れ替わりに登りの登山者達が登っていく。060716sekkei3men_1

 雨の激しさは変わらない、が下山からは携帯の傘を差しながらなので、上半身が楽だ。これだけの雨を受けるとレインウエアーも浸み込む。
 雪渓を抜け、赤沢岩小屋、そして槍沢ロッジ(午前10時30分)で昼食を摂ると隣に韓国の男性がなにやら粉末をお湯で溶き飲んでいる。
 声を掛ける日本語が通じないので、片言の英語で聞くと、ソウルからの槍ヶ岳ツアーだそうだ。
 その後粉末の韓国製携帯味噌汁のパックを貰い、頂く・・実にうまい、「カムサハムニダ・・・ありがとう」と礼を言いお返しに乾燥マンゴーを渡すと、今度はパックのモノをくれた。
 一言「ちゃ!」と言った。ハングルで ≪호두 아몬드 잣 율무차≫と書いてある。後で調べると≪くるみアーモンド松の実鳩麦のお茶≫と判明した。060715hatomugicha_1

 今回 ロンドンっ子やソウルっ子と一瞬ではあったが関われてグローバルな体験をした。そして横尾山荘(午前11時57分)060716yokoo_1
上高地バスターミナルへ到着した。(午後2時)
縦走の予定が果たせず、残念だが荒天、体力不足では致し方ない、今年中に穂高岳を登破してやるぞ!
沢渡までバスで戻り、沿線の【露天風呂】で垢を落とし、焼肉、てんぷら、そばを酒の肴にして帰路に着いた。

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2006/07/07

ニューバランスからアシックスに買い替えた!

2006年7月7日(金)


残雪の大菩薩嶺で下ろしたnew barance822New_barace822
のかかとが磨り減って、今日やっとオニューをB&Dで購入。
レース用じゃないので、セーフティ1のアシックスGT-2110Asics_gt2110
を陳列値引き品を7400円で手に入れた。
アシックスは初めて履く、㌔3~4分ぐらいのランナーの多くはアシックスらしいが、たまたま最初に履いたのがnewbaranceで、幅広の4Eがとてもしっくりしてたので、以来シューズはnewbaranceオンリーだった。
ランニングは道具も無いし、金がかからないスポーツでいいな!と思っていたが、とんだ思い違いをしていた。
すぐに踵がすり減るので、結構な出費だ。
先月の父の日に「何か買って!」と娘から、1万円貰っていたので、助かった。

オンロードのレースでは、軽量の new baranceを去年5足買い置きしていたが、もう 、1足だけとなったし、
トレイルラン用も欲しいのだが・・・。今のところオフロードの予定も無いので、我慢我慢。

今日は、たらふく酒を飲んだので、ランはお休みして、あしたアシックスを味わってみよう。


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2006/07/05

ショップはしごランランラン!!

2006年7月5日(水)

7月に入って時折、雷雨が襲ってきたり、不安定な毎日が続いている。
昨日は7月初めの公休日。数日前から日帰りで行ける山を物色しており、候補は皇海山(すかいさん)、苗場山、会津駒ヶ岳などなどだ。
理由は昭文社の【山と高原地図】をすでに持っているからそれだけだ。
まぁ、朝3時起きすれば関東甲信越でアプローチの短いところなら、8時に登山口に立てる。
選ぶに当たっては低山は暑いので、そこは秋冬に持ち越して、苗場山か会津駒ヶ岳に一応は決めている。

おとといから天気予報をチェックしているが、不安定なので辞めた。
それならば雨の装備で、30キロ位のLSDをと思ったら、家人から「何も休みのたんびに何処か遠くへ行かなくてもいいんじゃない?」と暗に釘をさされ、夕方から「ひとっ走り言ってくるぅ!」と言い残して外へ出た。

10分ほどで。ぽつりポツリと雨が当たるが、気にしないで走り、ジャスコでちょっと雨宿り。
スポーツオーソリティで、シューズや登山用品を物色、そのあとイトーヨーカドーまで移動しここでも雨宿りで、メンズ売り場でポロシャツを物色、
さらに浦和へ移動しこないだリニュアルした伊勢丹へ、流行なのかエスカレータ上がり口にフロアー案内係がいて、メンズフロアーに降りると目が合ってしまった勢いで、「スポーツ売り場は何処?」と聞く。
『ご案内いたします』と丁寧に先を歩き、わざわざと連れて行ってくれた。
周りを見渡すと。青梅マラソンのTシャツに、半スパッツのいでたちは、伊勢丹ではあまり見かけない。
1階のルイ・ヴイトンのショップの入り口には警備員がいて、そんなカッコじゃ入れないぞ!といわんばかりだ。
冷やかしも早々に、晴れ間も出てきたのでランを再開して別所沼060704bessyo
を一周して、バイパス回りで家路に向かう。
最後にユニクロに寄って、ポロシャツ2枚で2990円を買い、ウエストポーチに突っ込んで
午後7時すぎに19キロを走り終えて家に戻る。

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