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2018/12/14

師走***倉之助爺を調べたら西南戦争に行き着いた。

2018年12月12日(水)


母方の祖父N家の倉之助の足跡を追いながら彼の人生を想う。
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オイラが生まれた時はすでに亡くなって8年ほど経っていたので、跡取りのN家長男の叔父の家の仏壇の写真でしか知らない。オイラのお爺ちゃんだ。
そのN家の長男の叔父が4年前に亡くなり、Nを名乗る14人がオイラを含む4人でもうNを名乗る者が無くなり減るばかりだ。商売人でも無い会社員と年金生活者だけなので、いずれは苗字のNが無くなってしまう。ちょっと寂しい気もするし、墓守、跡取りを考えると誰か養子でもと思う事もあった。
そんな時、昔の我が家の系図事情を知る叔父が亡くなった4年前頃に本籍地の台東区役所でN家の謄本を取ると、意外な事実が判明した。今の苗字には血が繋がっていなかった!血縁は王子のH家と福井県のO家で今の苗字のN家には血が繋がってない事が分かり苗字を残すことの意味が無くなった。
祖父倉之助は、今の北区王子村のH家の二男で1873年 明治6年出生で成人に頃には当時の東京市京橋区岡崎在住から西鳥越のN家に養子となりその後に浅草日本堤に移り当時四谷に住んでいた福井県出身のO家のたかを娶って以来我がファミリーの祖となったわけだ。

そして今日オイラは暇つぶしに当時の居場所の京橋区岡崎(今の八丁堀)、西鳥越、そして下谷区日本堤四丁目(台東区日本堤二丁目)を訪ねてみることにした。当時と様変わりしたりして大体この辺だろうしか判明しなかったが、最後の日本堤で長屋何軒の家主と乾物屋だった事しかわかってない。その前には何してたんだろう。以前、倉之助出生地の王子村以前のH家の謄本を北区役所に問い合わせると、関東大震災や戦中の東京大空襲で、明治6年頃の資料は残っていなかった。
この年から今の太陽暦になったし、このだいぶ後で最後の内戦 西南戦争があったんだからあるわけないか?
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