2013/12/16

なりふみの結婚式

2013年12月14日(土) 沖縄 恩納村


午前中に恩納村のホテルから万座毛まで左手に海を眺めながら走る。
ほどよいアップダウンがあり、いいランコースになった。
道路沿いに人気配もないので土曜日とは思えない、真冬の沖縄はこんなもんなのだろう。
万座毛の景色も曇りなので、イマイチだ。Photo_2

ホテルでシャワーを浴びて、ベランダで少し明るくなった海を見ながらビールと沖縄そばを喰い、昼寝をして、結婚式までの時間をつぶす。

結婚式の本番の夕方4時には雲も厚く、風も強くなり、ヤシの葉が踊ってきた。
屋外の式場に両家の参列者が集まり、神父による結婚式が始まる。Nc_2

気温も下がり、ウェディングドレスのお嫁さん には気の毒だ。
約30分の式が終わって、披露宴が始まり、4時間の結婚式があっという間に終わるほどのとてもいい式だった。
幸せになってほしい!

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2008/01/19

20年前の新聞記事が遺品!!

2008年1月18日(金)


訃報が下関から届いた。Kannnonkyo


九州の百名山 久住山、八ヶ岳、そして青梅の御岳山を一緒に登ったマサオさんが、ガンで亡くなった。
厄払いした当日の夕方だった。
一年前に、医者から半年の命と診断されたが誤診ではないかというくらい、普段と変わらない体調がつづき、あっという間に半年は過ぎた。その間、すきな近隣の山登りなどしながら過ごしていた。
そして1年後の正月に風邪らしいと入院したが、たいしたこともなく過ぎて、この1週間前に一気にガンが暴れまくり、そして15日の午後、静かに静かに息をひき取った。
まだ64歳だ、死ぬにはまだまだ早い歳だったが、聞くところによると別段、痛みにそれほど苦しむこともなく、
逝ったのはある意味で、よかった。・・と家人が言っていた。

翌16日の通夜で顔をみると、とっても穏やかな顔をしていて、こちらもある意味ホッとした思いがした。

葬儀後、遺品の中から1枚の新聞の切り抜きが出てきた。
それは、20年ほど前の九州高校駅伝大会の結果の記事で、上位2校の争いになり最終区でそれまで1位だった高校が最終区間で抜かされて優勝を逃したと報じていた。記録的には2位までが大会記録更新とも・・。
そして、記事では、抜かされた選手が泣きじゃくり、仲間から励まされていたとも書いてある。
その泣いた選手の父親がマサオさんである。

泣いた選手は、その後、大学へ進学してあの長距離ランナー憧れの【箱根駅伝】を走った。
優勝はできなかったが、マサオさん九州から応援に出かけた。

でも、マサオさん自身のマラソン関連の話は聞かない。山歩きが好きとは聞いているが、足が速かったとか、ランニング指導したりとかまったく聞かない。だから余計に子の活躍が嬉しかったのだろう。
だから、20年前の新聞の切り抜きを大事にしまっておいたのだろう、冥福を・・・・合掌!!

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2006/07/29

シチ×シチ×シジュークまで!!

2006年7月29日(土)

一週間(シチにち)が経った。あと六週間までが、【忌中 】で、フミナリさんが冥土へたどり着く
期間で、それまでは線香を絶やさず、「ナムー!!」と祈る。

聞いてはいたが、娑婆での後始末が結構世話で、区役所へ行ったり、社会保険事務所へいったりと
公休日のほとんどがそれに費やされる。

来週いっぱいは、後始末に追われそうなので、その後、梅雨も明けるだろうから涼しい山へ弔いに行こうと思う。

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2006/07/25

娑婆最後の日!!

2006年7月26日(水)

 Ji1

おとといの通夜、そして昨日の告別式を終えたあと、浦和の火葬場で荼毘に付され、
1時間後、跡形も無くなりそこへ残った軽い骨だけが、【89年の人生がやっと終わった】と物語る。

かたわらでは、まだなあにも解っていない4歳のseiちゃんと、1歳のkeiちゃんが、不思議そうに骨を見る。
この子達はいったいいくつまで生きるのだろうか?

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2006/07/22

葬儀スタイルは家族葬にした。

2006年7月22日(土)

フミナリさんが家に戻って二日目。

午前中に、葬祭業者との見積もり説明を聞く。
すでに昨夜から、業者とのかかわりが始まっている。
死亡した患者はいつまでも病院へは置いておけない、だいたい2時間位までなので、
病院で紹介してもらうか自分の関わっている業者に依頼するかを選び、自宅へ連れ帰るのだ。

僕の場合は後者を選び、以前母親の葬儀にお願いした業者へ連絡した(時間は問わない)。
自宅へ搬送してもらい、床をしつらえ、来客に線香を上げてもらう段取りの一切を行ってもらう。
すでに夜中の2時を回っていた。

そして今日、まず打ち合わせの前に、夕べ、フミナリさんの体に乗せたドライアイスを交換する。
もちろん夏なので、常に冷やしておく必要があるからだ。加えてエアコンも稼動させておいた。
線香とろうそくの火は絶やさない。

今回の葬儀は予てから考えていた【家族葬】で行うことにした。
フミナリさんの子供である、僕と姉、そしてその家族とフミナリさんの義弟夫妻の5家族の10数名だけだ。
隣近所へは、その旨を伝えておくつもりである。
故ふみえさんの時は、僕の仕事関係者なども参列していただいたが、なんとも複雑な思いがしたものだ。
母親の葬儀でありながら、母親となんら関わりのない方が参列していいものか?と。

そんな思いが常にあったのと、まったく友人・知人などの交友関係が無いフミナリさんの葬儀なので、
じっくりとフミナリさんの話を、良く知った家族だけで、あーでもないこーでもないと言ってあの世へ送り出してやるのも言いかと思い、勝手に決めた。
親戚にも連絡しないの?との声もあったが、説明して納得してもらった。

祭壇に飾る生け花の、贈り主名を入れたボードも止めにして、花だけを飾ってもらうことにした。

我が家はお寺さんを持っていないので、通夜・告別式の読経依頼を業者に依頼し、戒名をもお願いした。
一式で35万円とのこと。仏の弟子になるのも金がかかるのだなぁと、思いながら母親にしたのに父親にしないわけにいかないので、お願いすることにした。
結局、見積もり合計は、お寺さん35万とは別で50万になった。

先んじて、船橋の二家族と、叔父がフミナリさんに逢いに来てくれたので、
葬儀日程が月、火と決まったことをを伝える。


今夜もフミナリさんの横で、休むことにしよう。


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