弥生***今際の際
2023年03月27日(月)+6324人
落椿いつもの公園赤く染め 与野凡夫
五日前母の27回忌を終え、仏壇を閉じた。
ところで、先日まで見ていた再放送の朝ドラ「本日は晴天なり」で昭和25年の人形町に住んでる夫正道が父・泰光が倒れたとの知らせが届き、東京から松江に向かい死に目に会うことが出来たシーンがあった。
そして、今朝の新聞のコラムの文中で、「介護も看取りも家族でという時代は去って久しい。」との記述があり、《うちもそーだった。》と述懐する。東京と松江ほど遠くなく、母は、救急車でたった5キロ先の病院で三日後に、父は長期入院先の、車で1時間の病院で、ともに、看取ることもなく死後連絡を受けて、死体と対面した。
コラムは続く「そこに戻すのが最善でもないだろう。けれど、知らぬがゆえにただ醜い、つらいことと蓋をして遠ざけていては、大事な「生」の意味を忘れてしまう。」・・・ 耳が痛い!
当時すでに、新しい家族と同居して、母はオイラが50歳の時に・・妻と3人の娘は涙を見せ、残された父は「死んじゃぁおしめえよ!」とつぶやき、オイラはなぜか悲しみはなかった。その9年後に父は入院先の病院で誤嚥性肺炎でオイラが61歳の時に逝った。
本人たちは、今際の際(いまわのきわ)に看取られたかったのだろうか?それとも「こなんことで死ぬわけがない」と思ってたのかよくわからない。 Ⅿ婆が3年前に手術前の全身麻酔を受けた時、アナフィラキシーショック症状を発症し生死をさまよった(医者の話)。が、医者の対処で難無く無事手術を終え、術後にその報告を受けた。
Ⅿ婆本人はそれを聞き、「何もわからない状態だから、死ぬってあんな感じなんだろうね、ああいう死に方がいいよ!」と言ってたのを思いだす。
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