2023/03/27

弥生***今際の際

2023年03月27日(月)+6324人

Photo_20230327154301

落椿いつもの公園赤く染め    与野凡夫

五日前母の27回忌を終え、仏壇を閉じた。

ところで、先日まで見ていた再放送の朝ドラ「本日は晴天なり」で昭和25年の人形町に住んでる夫正道が父・泰光が倒れたとの知らせが届き、東京から松江に向かい死に目に会うことが出来たシーンがあった。

そして、今朝の新聞のコラムの文中で、「介護も看取りも家族でという時代は去って久しい。」との記述があり、《うちもそーだった。》と述懐する。東京と松江ほど遠くなく、母は、救急車でたった5キロ先の病院で三日後に、父は長期入院先の、車で1時間の病院で、ともに、看取ることもなく死後連絡を受けて、死体と対面した。

コラムは続く「そこに戻すのが最善でもないだろう。けれど、知らぬがゆえにただ醜い、つらいことと蓋をして遠ざけていては、大事な「生」の意味を忘れてしまう。」・・・ 耳が痛い!

当時すでに、新しい家族と同居して、母はオイラが50歳の時に・・妻と3人の娘は涙を見せ、残された父は「死んじゃぁおしめえよ!」とつぶやき、オイラはなぜか悲しみはなかった。その9年後に父は入院先の病院で誤嚥性肺炎でオイラが61歳の時に逝った。

本人たちは、今際の際(いまわのきわ)に看取られたかったのだろうか?それとも「こなんことで死ぬわけがない」と思ってたのかよくわからない。 Ⅿ婆が3年前に手術前の全身麻酔を受けた時、アナフィラキシーショック症状を発症し生死をさまよった(医者の話)。が、医者の対処で難無く無事手術を終え、術後にその報告を受けた。

Ⅿ婆本人はそれを聞き、「何もわからない状態だから、死ぬってあんな感じなんだろうね、ああいう死に方がいいよ!」と言ってたのを思いだす。

| | コメント (0)

弥生***雨雨で後悔する

2023年03月26日(日)+6324人

Photo_20230327093101

猫庭ににょき出たエビネの新芽に「お湿り」の雨を喜んでた三日前、「もう十分」との二日前、「もうやめて!」と昨日、そして「いい加減にしてくれ!」と怒りを覚える今日もまた雨。そして、いつまでたっても止まない寒い雨で、ルーティーンの散歩も中止した。

昨日、弱くなった雨の夕方、多和田葉子と櫛田節子を図書館に返却し、図書館からメールで《お渡しできます》と表記のある朝吹朝吹真理子の「きことわ」とニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」を借りるつもりが、図書カードを忘れたため、持ち帰ることが出来なくなり、読む本が無くなった。

ので、手持ちの大江健三郎の読み終えてない短編の「他人の足」「人間の羊」などを読む。・・が、脊椎カリエスの少年たちの話や、羊にされた傍観者への嫌悪と侮蔑を込めた話で、暗い雨音のなか、けっして楽しくもない話でさらに気分が暗くなってしまった。こんな日は読むんじゃなかった。とちょっと後悔する。

| | コメント (0)

2023/03/25

弥生***彼岸明けも雨読日

2023年03月24日(金)+8639人

Photo_20230324095801

彼岸明け牡丹餅三時    与野凡夫

彼岸明けの今日、雨が降り繰り続いているが、幸いにも気温が高いので、【雨読】にはちょうどいい。三冊目の多和田葉子の短編集を【二宮金次郎】のように部屋の中を立ち歩きながら音読する。

語句や言い回し、慣用句、背景などを「精読」しないと文章全体の内容を十分に理解する「熟読」できないので音読する。「なに?子供みたいなことして!」とⅯ婆。説明がめんどくさいので、スルーする。彼女も安くなった文庫本を【Book off】で何冊も買って、読み終わると、それを売り、そしてまた買ってくるほどの本好きだ。

「これ読んでみる?」と多和田葉子の『犬婿入り』を見せると。裏表紙を読んで、「読むむのがめんどくさそう、読まない」と言う。どうやら大衆文学の「直木賞もの」がいいらしい。

多和田の初期の短編小説群はだいたいが息の長い文章で書かれている。しかも句点が少ないばかりではなく、読点まで省いて、わざと長たらしい文章にして、その分読者に強い緊張を強いている。小説というものは、作家が一方的に読者に向って差し出すのではなく、作家と読者との共同作業で成り立つのだというふうに多和田は考えているようであるらしい。多和田葉子を読む:代表作品の鑑賞と解説)

| | コメント (0)

2023/03/22

弥生***27回忌

2023年03月22日(水)+4460人

Humie1-3_20230322150301

《生きていれば99かぁ》とつぶやく。今日は73で逝ったふみえさんの命日だ。

22歳の大学卒業まで実家暮らしだったので、両親と一緒に暮らしていた。が、学生時代はサークル活動やらバイトで家には寝に帰るくらいだった。社会人になり金沢に着任して3人の子持ちになって10年後に本社勤務となり、実家に入ることになった。

父親は隠居生活だったが、ふみえさんは近所の家内工業の内職を頼まれたり、町内会のボランティアをやったり、家にいることがなかった。そし十数年後も、長寿会長の補佐作業をしていて、「胸が痛い」と救急車で運ばれて、数日後、あっという間に心筋梗塞で亡くなってしまった。

知ってる限りは病気知らずの活動的で、健康なふみえさんだったので、PTA とか町内会と積極的に活動してたようで、葬儀の際の弔問客の多さにびっくりしたものだ。加えて、自分の実家との付合いが滞りがちな父の代わりに、父方の本家筋の親戚とも如才なく付き合っていたほどだ。父は人づきあいが不得意で、彼女だけが頼りで、何事もふみえさんに依存してたようで、なんかあると、「おあかさんに」と言っていたのを思いだす。

わが家庭内外の大黒柱だった母ふみえさんを改めて尊敬する。

| | コメント (0)

弥生***春分の日

2023年03月21日(火)🎌+8683人

Photo_20230321175101

今日は【春分の日】の祝日で、彼岸の中日だ。「暑さ寒さも彼岸まで」と冬の寒さは春彼岸まで、夏の暑さは秋彼岸までと言われ、このころまでに和らぎ、それ以後は気候が落ち着いて過ごしやすくなるという意味だ。

太陽春分点を通過した瞬間の時刻をその国の標準時で表したものが。春分(しゅんぶん、vernal equinox)で、2023年の春分は、日本時間では3月21日だ。

は、二十四節気の第4。よく昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなるとされるが、実際には大気差、太陽の視角、日周視差、春分のずれで昼の方が14分ほど長いそうだ。(Wikipedia)

これからどんどん日が長くなって、屋外で遊ぶことが大好きなオイラにとってはうれしい限り、曇天日になったが、ランニング姿で、図書館へ借りた本を返しついでに、東の芝川土手へ向かう。途中の幾つもの公園は家族連れがいっぱい、土手に沿って大宮第三公園、第二公園、大和田公園を通り過ぎて、さくら公園で有名な大宮公園に入る。

北風を受けにくいせいか、7割ほどの開花状態で、薄ピンク一色のソメイヨシノが公園の空を隙間なく覆っている。まさに春が来たようだ。混雑する氷川神社の表参道をさけて裏参道から市街地の中心部を避けて、12キロランを終える。いい汗かいたぁ!

| | コメント (0)

2023/03/20

弥生***バスで墓参り

2023年03月20日(月)+2770人

Photo_20230320163901

参道にシャガ(射干、著莪)が咲きだした。

アヤメに似た小さな花で、山林や湿り気のある草地などにひっそりした佇まいで群生し。学名はアイリス・ジャポニカ(Iris japonica)だが、中国が原産。古い時代に日本に帰化したと考えられている。 別名がチョウに似た形で胡蝶花とも言う。

帰化したシャガは染色体が三倍体の種類で、種ができないので、群生していた場所は以前に人の手を介して広がっていったのではないかと考えられている。ので、増やすなら、株分けで増やす必要がある。という。

午後、好天気になったので、彼岸の平日の今日はバスで墓地の青葉園へⅯ婆と5年ぶりに行くことにした。駅前のバスターミナルの階上から降りようとすると、長蛇の列が階段の上段まで続いてる。前の男性に「この列は青葉園行きですか?」と聞くと、そうだと言うので、待つことにした。

10分経っても、階下にバスは来ない。階上段なので、バスの回送がよく見え、次々に入ってくるが、このバス停にはなかなかやってこない。Ⅿ婆に「座れないけど、ひょっとしたら、乗れないかも・・」と言ってるうちに、20分後青葉園行きがやってきた。案の定満員でかろうじて乗ることができた。ふと見ると、祝祭日は臨時便が出てるようだが、あいにく平日は定時便だけなようだ。

それでも、バス乗りが久しいので、なんとなくうれしい。走り出すと、平日午後とあって、次々の停留所に乗客は無く、ほぼ予定通りに着いた。花と線香を買いうららかとは言えないちょい暑い日差しの中、10分先の墓を目指し、墓を洗い、花を生け線香をたいて、合掌し、ぶらぶらしながら、出口に戻る。

折角なので、歩いた先の「モスカフェ」で抹茶ラテとアイスティとナゲットで小休止し、バスをやめて、3キロの戻り道ぶら歩きして家路につく。いい墓参りになった。

| | コメント (0)

2023/03/19

弥生***彼岸二日目は快晴

2023年03月19日(日)+5938人

44k

雨読を決め込んだ昨日は、岡田利規の短編集を読み終えた。・・・が、朝の買い物での外出だけだったので、夕食後の風呂上りのタニタの数値を見下ろして「えっ~!肥えたぁ」とつぶやいて、「カウチポテト」状態だったことをいたく後悔した。自身のルールが「走ったら、摂取解禁、走らなかったら、摂取禁止」のはずなのにぃ・・・。

朝8時前、雨戸を開けると昨日とうって変わって、たっぷりの朝の太陽が部屋に流れ込む。それだけで気持ちが晴れる。今日は何があっても「足習いの日」にしようと決め込み、早めの中速を終え、午後いちばんで、家を出る。日差しはたっぷりだが、思ったより風が冷たいので、ウオーミングアップがてらに、ダッシュアンドウオークを繰り返しながら体を温める。

大宮バイパスを北の端まで5キロから左折してバイパスを荒川土手までランウオークして土手上に上がると、360度の景色が望める。気持ちいい。すぐに埼京線の線路ださいたま市の指扇から荒川越えする川越線で、菜の花が咲き始めた土手に海まで44キロの立て看板がある。日曜日の午後とあって、散歩客、チャリダーたちが行き交っている。

土手と市内に向かう道路が帰りクルマで渋滞している、国道をさけて空いてる住宅を抜けて4時半に帰着する。ほぼ予定通りの19キロだ。シャワーを浴びてタニタに乗る。2.5キロ減だ。これで昨日の増分はチャラだ。

| | コメント (0)

2023/03/18

弥生***彼岸は雨読日から

2023年03月18日(土)+ 7066人

Photo_20230318161301

昨夜から降り出した雨がまだやまない。どんどん寒くなっていき、いつもの買い物時間の10時でも寒い雨は降り続くなか、もはやルーティーンとなった買出しに出かける。

予想はしてたので、昨日 図書館から「予約の本が準備できた」と何度もメールが届き、雨読日の明日のための本を、何としても引取ると決めて夕方にも関わらず、3冊を借りてきたのだった。

初読みになる岡田利規「ブロッコリー・レボリューション」(第35回三島由紀夫賞)を読む。

---登場人物が一人称の「ぼく」と二人称の「きみ」で語られ固有名詞は友人のレオテー」だけの珍しい小説だ。

語り手「ぼく」は、自分のふるったDVの結果、「きみ」がこっそりタイに逃げて送る生活の一部始終を詳述する。作中何度も「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども」との断りをリフレインしながら、「きみ」は「ぼく」が象徴する日本社会の支配から逃れたタイでの解放感や、豊かで魅力的だった生活を享受する。が、タイにはタイの暴力支配があり、友人のレオテーはその圧迫を受けているが、「きみ」はその現実のやましさから目をそらす。

そして巻末、ホテルのTVでワールドカップロシア大会の決勝戦が終わり4-2でフランスがクロアチアを破った映像が流れ、そこへロシアの反体制パンクバンド「プッシー・ライオット」のメンバー4人が警察官の衣装を着てピッチに乱入し、フランスのFWエムバペにハイタッチしたりするなどもして、試合を一時中断させた。のち4人は警備員に取り押さえられ、場外へ出されて、小説は終わる。

午後4時半。まだ雨は小降りになったけど降っている。Yahoo天気は明日は快晴だと表示している。

| | コメント (0)

2023/03/17

弥生***岡もっちゃん

2023年03月17日(金)+7055人

Photo_20230317135801

岡もっちゃんからLINEが届いた。

関西在住の同期生との楽しそうな会食風景だ。おそらく1969年の新社会人だから後期高齢者二年目の爺たちだろう。わざわざ送ってくれたのは、かつて同じ部署の仕事仲間もいるからだろう。

一人だけ見覚えのある「加藤ちゃん」がいた。懐かしい。そして遅れて届いた名前の人物がかすかな顔の名残で「速水ちゃん」と分かったが、最後に会ってから29年の加齢が、皆、容姿を変えていた。・・・が、右奥の「岡もっちゃん」ただ一人だけ、黒髪とつるつる肌をしている。

彼もマラソンランナーで、今回も大阪マラソン観戦がてらの縁での飲み会になったようなのと、関東の自宅と、島根県の実家と、社会人の起点だった大阪をローテーションに移り住んでいるなど、じっと老後してる様子がないので、「黒髪でつるつる肌」が維持できてると思う。

リタイアするまでは関東専住で、年一には会うほどだったが、相続した島根の実家、そして第二の故郷の関西、そして持家ある関東と、精力的な移動の老後生活で白髪になる暇がないようだ。あちこちに住めてうらやましい限りだ。

わたくし事だが、かつて娘3人を持ったころ、出張先の北海道、上信越を身近に体感し、娘たちに婿殿は関東出身でなく。地方出身者がいいよ!と言ったことを思い出した。その理由は、将来、遊びに行ける!・・からだ。

長女は運よく下関出身者だったが、あいにく次男で現在オイラたちと同居中だし、次女、三女は関東の男たちで、夢破れた。

| | コメント (0)

弥生***火の見櫓(望楼ぼうろう)

2023年03月16日(木)+7715人

Photo_20230316084601

先日、バイパスを大回りしながら、町中に向かう狭い住宅道路を走ってたら正面に火の見櫓が出現し、思わず写真を撮った。さいたま市大宮区日進町の自治会館敷地に3本足の望楼が設置されていた。いい景色だ。こんな名残がこのさいたま市郊外を走るとあちこちによく見られるのはうれしい限りだ。いったいどれほどあるのか調べたら、さいたま市では34本だという。

火の見櫓は木造建築が中心の日本では火災が大災害につながり、火災予防と早期鎮火は主要課題であり、人口増加が進み建築物が密集するようになった江戸時代以降の市街地では町火消(後に消防団)など消防体制の整備が急がれ、これに伴いが各地に造られていき、江戸時代の江戸を皮切りに火消体制とともに整備されてゆき、昭和初期には全国ほぼ全ての地域に整備されていった。

北足立郡の火の見櫓 (確認数 92基)

市町村名 確認数 4本足 3本足 梯子型 半鐘 遺構 不明 備考
鴻巣市 12       市の中心部に2基
北本市            
桶川市          
上尾市 26 16     自警消防団銘の櫓が多い
さいたま市 34 24   消防信号標付きが多い
蕨市          
志木市            
朝霞市        
和光市            
92 60 13 10

| | コメント (0)

2023/03/16

弥生***孫ばなれ(カツオ)

2023年03月15日(水)+9552人

Photo_20230316083901

玄関横に、3日前に土いじりが好きなマスオさんが植え込んだ花が朝陽をあびて活き活きしてる。

朝遅く、カツオが「初ドライブ」に出かけた。昨年運転免許証を取り、父や母のサポートを受けながら、徐々になれたものの、まだまだ危なっかしい様子だが、彼女から「ドライブに連れてって」と誘われたようだ。

そして、暗くなった夕方まだ帰ってこない。「夜の運転したことあるの?」と母親のサザエさんに聞く。「教習所でナイターやってるし大丈夫だよ」「事故にでもあってるんじゃない?」などと孫ばなれできないⅯ婆が心配そうに帰りを待つ。

《ガラガラ・・》と門扉の音だ。「よかったぁ、無事で」。自動車の多い彼女の住む東京まで送ったようだ。「もう運転は大丈夫さ!」と本人も自信をつけたようだ。

| | コメント (0)

2023/03/15

弥生***健三郎が逝った!

2023年03月14日(火)+10011人

Photo_20230315151901

今朝の日経一面に【大江健三郎】の訃報が載っていた。

のほほんと過ごしていた大学4年時のお茶の水・水道橋の学生街での激しい学生運動が盛んになってた頃、それまで読んだ近代文学者たちの小説とは、違ったのが大江健三郎で初読が私小説の【個人的な体験】だった。

きっかけはやはり、戦後生まれで、朝鮮戦争特需での国内景気のなか欧米文化志向でぬくぬく育って成人した頃、米国の若者による反ベトナム戦争が飛び火して、豊かな日本の学生たちが反べ・反米、反安保闘争に染まっていったころ読んだ。

オイラはというと、属してた学術団体でも、シンパサイザー( Sympathizer ) として賛同の立場だったので、国会へのデモ行進に参加したこともあり、「マルクス」「社会主義」「左翼」「実存主義」について真面目に知ろうとした際に読んだのが始まりで、当時は共感というより、「ベトナム戦争はんた~い」「安保はんた~い」と叫ぶみんなに同調した感じだった。

が、その一年後に社会人となり、大江健三郎文学を知りたくて、1957年学生作家としてデビューした短編「死者の奢り」、芥川賞 の「飼育」などを読み返していくうちに、その深さを感じていくことになる。

彼の政治的思想は、戦後民主主義者を自認し実存主義の立場から、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取り、1994年、ノーベル賞の受賞を受けて文化勲章の授与の内定も、民主主義に勝る権威と価値観(注:天皇制)を認めないからとそれを断った。

ただ、まだ88歳で老衰か? おつかれさま 合掌!

| | コメント (0)

2023/03/14

弥生***雨と多和田葉子

2023年03月13日(月)+3368人

Photo_20230313133901

「かかとを失くして」多和田葉子--- 九時十七分着の夜行列車で中央駅のホームへ降りた、遠い国から来た私。なぜか周囲からかかとを笑われながら、書類結婚をした男の住む十七番地のアパートで、扉に隠れて姿を見せない夫との奇妙な生活が始まる。‐‐‐ドイツで作品を発表していた著者が群像新人賞を受賞して日本で衝撃的デビューを飾った。(裏表紙より)

先日初めて読んだ「犬婿入り」の読後、多和田葉子とは、多和田文学とは?と、多様な言語に訳されそれぞれの言語圏で読者を得ている世界作家たる所以は、やはり、日常的に他民族との関わりのある異文化に直面する描きが、幻想的でミステリアスな雰囲気を醸し出されたものだろうと思った。

これで4作を読んだが、それまでの読んだ作家とは異質な感じがする。がまだまだ多和田文学を読んでみたい。

| | コメント (0)

2023/03/13

弥生***老婆心

2023年03月12日(日)+7013人

Photo_20230313125701

先週の月曜日にワカメちゃんが家を離れて6日間が過ぎた。夕食時の平日にはいつもワカメちゃん母子と爺婆4人で同席してたのが、三人だけだ。「どうしてるかねぇ、寂しいねぇ、静かなのはいいけど・・・」「同室の先輩がいい人ならいいけどぉ」「あの子内弁慶で外ではいい子ぶってるから、ストレスたまんないかねぇ」などと、気にする爺婆だ。

「どお!何か LINEで行ってきた?」とサザエさんに聞くが、ほんの一語だけらしい。元々、長々と打ってこないようなので、「高校三年間でも長めの合宿経験あるし、どういうものか充分分かってるから、心配してない」とサザエさん。

特にサザエさんのワカメちゃんの部活サポートで毎朝4時起きが解消されたので、心身ともに身軽になって、今週末はマスオさんと二人で、お出かけして楽しそうだ。

加えて《ワカメちゃんの昼過ぎ帰宅日》には、「家に帰ったとき、やっぱり誰かいたほうがいいと」の老婆心がはたらき。在宅するⅯ婆やオイラだ。

| | コメント (0)

弥生***エゴン・シーレ

2023年03月11日(土)+9100人

Photo_20230311163901

今朝の日経朝刊の「文化」蘭で初めて知った,ウイーンの街で、28年の短い人生を駆け抜けた画家エゴン・シーレ(1890~1918年)の自画像だ。

16歳の時にグスタフ・クリムトと同じウィーン工芸学校に学び、よりアカデミック色が強く純粋芸術を追求する場であったウィーン美術アカデミーへ進学した。ちなみにシーレが同アカデミーに入学した1906年の翌年と翌々年にはアドルフ・ヒトラーが同アカデミーを受験して不合格となっている。

だが、シーレにとって保守的で時代錯誤な古典主義を継承するアカデミーに価値を感じなかった。代わりに工芸学校時代の先輩であるグスタフ・クリムトに弟子入りをし、フランス印象派の絵画展をクリムトが開いた時、その展覧会で実物のフィンセント・ファン・ゴッホの作品を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられ、また同じくゴッホの影響を受けたドイツ表現主義の画家達(エドヴァルド・ムンク)の絵画も展示され、彼らからも強い影響を受けた。

自由な創作を繰り広げ、性の部分などタブー視されていた部分も作品に取り込もうとし、倫理的に避けられるテーマをむしろ強調するような作品を制作していった。裸体や性を描くこと自体は問題視される傾向が減りつつあったが、彼の描く表現は非常に過激だと受け取られた。しかしシーレは倫理的に問題視されるような描写も怯まず作品へ用いていった。

画風ではゴッホに代表される表現主義の躍動感ある描き方を好み、特に「向日葵」を賞賛している。自らもゴッホへの賛辞として同じ構図の向日葵を作品として遺している。また自らの生年がゴッホの死没年であることに「運命を感じていた」という。

1918年、第一次世界大戦前後に流行していたスペインかぜに罹り10月31日に28歳で亡くなった。2023年1月26日から4月9日まで、東京都美術館において展覧会「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が催され、この展覧会は2023年3月5日(初回放送日)にNHKEテレ日曜美術館において「孤高の“まなざし”エゴン・シーレ」と題する番組で紹介された

| | コメント (0)

2023/03/11

弥生***江戸っ子が減った東京大空襲

2023年03月10日(金)+9113人

Photo_20230310124801

78年前の今日1945年昭和20年3月10日はオイラの田舎だった浅草が丸裸にされた日だ。

死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲。「ミーティングハウス二号」。Meetinghouse 2を指す。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた[10]。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。(Wikipedia)

実の姉はこの20年の9月大宮生まれ、そしてオイラは2年後に同地で生まれたので、おそらく、すでに現在の地に疎開していたと推測できる。当時を知る祖母と母と婿養子に来た父はもういなくなり、一番年下だった最後の叔父も、先年亡くなったので、東京大空襲から戦後を知る者がいなくなった。

1939年66歳で長屋と乾物屋を営んでいた主の祖父倉之助が没した同じ年に、三国同盟を結んだ日独伊と、英ソ米中国などの連合国との第二次世界大戦が始まった。その4年後の昭和18年12月に男手が居ないとのことで、父を養子に迎えることになるが、結局数年のちに浅草を離れたようだ。東京大空襲での疎開がなければ、オイラは「江戸っ子」だったろう。

戦後東京の下町はその後、全国各地から・・福井から八丁堀に、埼玉から浜町にと焼野原あとの戦後に入植したようで、大きく住人が入れ替わったようで、三代続いた「江戸っ子」は少なくなった。

| | コメント (0)

2023/03/10

弥生***17キロ・たまらず走りに

2023年03月09日(木)+ 9834人

Photo_20230309204901

今日も暖日で風もあり、洗濯ものの渇きが早く、午後一時過ぎに取り込んだ。

そんな日に、家でじっとするのがもったいなくなり、たまらずランニングスタイルになり、外へ出ることにした。歩道の広い大宮バイパスに出て、《昨日は右の北へ走ったので、今日は左の南へ行こう》と太陽を右手に受けながらドン・キホーテの前に出る。

以前は日本のホームセンターDIYの走りの「ドイト」があったところだ。DIYや園芸ブームなどで流行った店でオイラもよく通った店だったが、消費者ニーズに進化できず衰退して店名がなくなった「職人気質」の会社がどういう末路をたどるかの見本のような典型例だ。

長めを走るつもりなので、イヤホンで音楽を聴きながら、「ウラトコ線」と交差点で信号待ちだ。《は~は~》と深呼吸する。以前は黄点滅信号では急いで走り抜けるが、今は無理しない。耳からユーミンが聴こえる。ちょっとゆっくり歩き呼吸を整える。汗ばんできた。長袖Tシャツ一枚で正解だ。

特に目的のないままひたすら、走ったり、歩いたり気ままに、目安の5キロの町谷の先の交差点東へ進路を変え浦和美園駅へ連なる57号463号線の大宮バイパス線への工事現場をすり抜けて北浦和市街地へ向かう。ここが繋がるといくつもの南北を通る道路や線路を東西で越えていけるようになるらしい。

市街地にはいり国道17号(中山道)を超えて、京浜東北・高崎線・宇都宮線路を眼下に見降ろしながら、旧中山道の北浦和東口に出て、北の与野駅そしてさいたま新都心駅、そして氷川神社一の鳥居先の大宮中央図書館にたどり着いて、小休止する。午後4時半だが、学生が増えて混んでいる。毎日のように通っているマイ図書館だ。

持参した図書カードのバーコードを読み込ませて、パソコンを使用し、今日の行動距離をYahoo地図で計測すると、17キロだ。20キロを目標だったが、ちょうどいい時間だ。30分PC使用して、予約状況を確認すると、コールドプレイの「x&y」が印字され、取り置き棚から持ち帰ることができた。ほぼ予定どおりの一日になった、いい日だ。

| | コメント (0)

2023/03/09

弥生***花粉症

2023年03月08日(水)+11805人

Mokuren

cocoonシティにハクモクレンが咲いていた。

一気に暖日続きで、それまでのヒートテックを脱いで、半そでTシャツでちょうどよく、ガラス窓を全開する。・・・と、「窓開けないでぇ!!」とⅯ婆からクレームだ。「花粉が入るでしょ!」と。

いやぁ、情けない話だ。花粉なんて、今更じゃないでしょと思うのだが、わが家6人中でオイラ以外は花粉対策で薬の服用しているらしい。都会病か?と思ったら、そうではないらしい。

花粉症という言葉が認知されるようになったのは、1964年。東京オリンピックの年からで、この頃からスギが放置されるようになった。当時の日本は、ちょうど木材貿易の自由化が進んで、海外の安い木材を進んで使うようになり、7割を輸入に頼るほどになり、スギは伐採される機会も植林される機会も減って、日本の経済発展に合わせて、皮肉なことにスギ花粉も、大量に増殖、発散されるようになった。という。

だが、オイラのような昔の人は花粉症にならないのは、野菜や魚中心の食生活を続けてきたからで、洋風化した肉中心の食生活が影響しているという説が多くあるそうだ。

| | コメント (0)

2023/03/08

弥生***血管年齢90才以上!!

2023年02月07日(火)12014人

Photo_20230307151901

二か月に一度の定期受診日に「その後の状況を知りたいので血管検査をしてもらえませんか?」と2年ぶりの検査を行った。

3年前、立ち眩みを覚えて、上腕と足首の血圧測定、頸動脈エコーで検査すると、「動脈硬化症」と診断され、「あなたの血管年齢は80歳です」加えて、頸動脈の片方が詰まって、狭窄率が61%(血管の39%しか血液が流れていない)と診断された。 

その日以来初めての薬剤治療が始まり、併せて、朝食メニューに、高血圧改善の酢卵、血管にゴミが付きにくくする皮付き林檎、バナナ、ヨーグルト、牛乳を。夕食最後には血液の流れをよくしてくれ,血液がサラサラなる納豆を食すようにして、血管の61%のゴミを溶かすように、毎日欠かさず食している。

加えて、薬剤の副反応の晩酌もやめた。タバコは吸わない、生野菜好きだし、足習いで毎日ウオーク&ランして、BMI値は22位を維持で生活習慣は問題ない。血圧値も128前後の検診結果なので、気になるのが、頸動脈狭窄率の61%だ。

今回の結果で3年前の血管狭窄率61%が、薬剤と食材改善で、40%に減った。つまりほぼ6割に血管が拡がったわけだ。うれしい!・・・が、動脈硬化は改善されるどころか進行している。愕然!!

結果は、なんと90歳以上の血管年齢で!。2184の数字が白抜きになっている。1秒間に流れる速度で数値が大きいのは血管の壁が硬化してるということらしく、この数字から」逆算して「90歳以上」との判定だとされた。

| | コメント (0)

2023/03/07

弥生***巣立ちと家事

2023年03月06日(月)+4263人

Photo_20230306122301

ワカメちゃんの廊下に積まれた引越し用品を、仕事を休んだ両親と、群馬県の大学の合宿所へ向かう。

マスオさんが借りてきた、背の高い自動車に積み込む。そしてワカメちゃんが「じゃあ、行ってくる!」と別れの挨拶に部屋に来た。「悲しくなるから見送らないよ!」といい。親子3人が出かけていった。社会人ではないが、今まで温室のような環境が変わり、一時的な合宿じゃなく、ほほ四年間続くので、自己責任での生活。「仮巣立ち」なのだろう。

ちなみに、オイラ自身の仮巣立ちは、大学の学術サークル時に,「海の家」の経営実務で数か月の合宿の体験で、家事の始末を覚えた。そして卒業後の22歳の社会人からは完全な「巣立ち」で、50年前の北陸金沢の3畳の寮暮らしだ。(写真)

2DKの狭い3畳間に仲間とシェアした二段ベットの一段を3畳間に置き、頭の上の窓にミニステレオと持込んだjazzのレコードを置いて、夜にはその部屋で過ごした。浴室は掃除する気がない同室の2人なので、二日に一度は銭湯にいった。洗濯はしないで、yシャツ等はクリーニングに頼んで、下着は、当時激安だったので30枚分買い込んで、破棄した。

結局、社会人2年目の夏に結婚して、1年4か月の寮生活の家事から解放されることになり、不得意のまま今に至る。

| | コメント (0)

«弥生***卒業と門出