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2022/05/26

皐月***参道まで

2022年5月25日(水)+35190人

Photo_20220526090701

ちょっと前なら、太陽を求めて日の当たる道を選んでいたものだが、このところは敢えて日陰を探して歩く日が続いている。今日の散歩コースは目的の【参道】まで直線では1.5kだが、人流が多い駅周辺の一番暑い場所を避けて、国道17号沿いのビル陰を南へ行くことにした。

もう¾世紀ほど住んでいて、遠かった小学校、そして更に遠くなった中学校に通った道だ。この国道沿いの景色の変わりようもよく覚えている。

この角に豆腐屋があり、その隣にそば屋があり、一度くらいは食べた記憶があったが今はもう医院になっている。そして、向かいは「ナ〇〇〇君」ちの床屋で、当時当たり前の【坊っちゃん刈り】が嫌で日活の俳優の髪型の「ナ〇〇〇君みたいにしてください」と言ったことまで覚えているその「ナ〇〇〇君」ちの床屋も既になくなった。

2.2キロ先の西友前を左の先にある狭かったが600m続く与野駅前商店街に入る。ここにも当時中学生で二人だけで池袋のスケートセンターに行った「〇〇ヤさん」の家があった。初恋の人でも無かったのになんで二人で行ったのが今でも良く分からない。当時の部活は篭球部で同じだったせいだろうか?

当時の部活の一番人気はは野球部で、「ナ〇〇〇君」は当然野球部に入った。オイラはその頃から天邪鬼というか多すぎるのが嫌で、テニス部もいいなぁと思ったが皇太子の結婚がテニス繋がりでのブームになっててやはり多く、出来たてのマイナーな【篭球部】を選んだ。

対外試合は出ると負けだったが、楽しかった。当時のエースの京都出身の「ミ〇〇〇〇君」が「これ【ほかし】しといて」の意味が分からず、初めていろんな言葉があるのだと知った。

与野駅からJR線路を越えると旧中山道になりけやき通りになり予定通りの緑陰地帯を氷川参道の一の鳥居につながり、目的地につきその図書館で小休止することにした。5キロの想いでの多い与野商店街だったが今では、その面影も無く高層のマンション街と化し、ほとんどの商店は無くなり、静かな洒落た大通りになった。行き交う人の中に当時の同級生は見当たらない。

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