2022年7月9日(土)+55018人
鎮目 博道(元TV朝日ニュースデスク) - 7月9日 17:00発
「安倍晋三元首相が殺害されるという衝撃的な事件が起きた昨日、テレビは当然のことながらその事件報道一色に染まった。「襲撃されて心肺停止状態」という第一報から、テレビ東京系列を除きほぼ全ての通常編成の番組は予定を変更して特番となり、深夜まで繰り返し安倍元首相殺害関連の事件に関するニュースのみが放送された。
長年テレビ報道に関わってきた筆者が、テレビ報道に感じた「違和感」をみなさまに伝えることにわずかなりとも意義があると思い、この文章を書くことにした。感じた「違和感」はいくつかある。
(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか
きのう各局の特番を見ていて気になったのが、「この事件は言論の自由を奪おうとするものだ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことだ。
たしかに、この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至極当然だ。一般的に外形的に捉えれば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元首相が殺害された」わけだから、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦であると言うべきだろう。
しかし、スタジオにいるコメンテーターや解説委員など「伝える側」まで、このフレーズを繰り返し述べていたのは、本当にそれで良いのだろうか。
もしこの事件の犯行動機が「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙った」ということならば、本当にそれは「言論の自由を奪おうとすること」であり「民主主義への挑戦」なのか?というところがひとつ疑問として浮かぶ。
「宗教団体へ個人的な恨み」が犯行動機であれば、それは個人的な怨恨による犯行だと言ったほうが適切かもしれない。だとすれば、安倍元首相を殺害するのはほぼ「逆恨み」であると言って良いだろう。
ましてや、安倍元首相とその宗教団体にそれほど関係がなかったとすればなおさら、「安倍元首相は何の落ち度もなかったのに逆恨みで殺害された」ということになり、これはこれで断じて許されないが、果たして「言論の自由の封殺」や「民主主義への挑戦」であったのかというと、議論の余地も出てくるのではないか。
とにかく今は「選挙期間真っ只中」であり、そういう意味では報道機関には冷静で公正な政治に関する報道姿勢が望まれる。
そういう意味で、動機がはっきり分からない中で、局サイドまで「言論の自由と民主主義に対する許し難い犯行だ」と断定してしまっているかのような報道姿勢は、それでよいのだろうか。
さらに、気になるのは昨日、事件の放送時間が長すぎはしなかっただろうか?ということだ。テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送したが、それは適切だっただろうか。
確かに元首相の殺害事件であるから、ことの重大さから言えば当然特番を編成するのに十分値するのは間違いない。しかし、報道特番を編成するにはその「重大性」とともに「更新される情報量」も考慮されなければならない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」がある。
例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということができる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。
あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編成して伝える事項がたくさんある。
しかし、昨日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。
事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕されていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。
「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間でもあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況のまとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
撃たれる映像が繰り返し流れる
これで、ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。
となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。
さらに、時間を埋めるためには繰り返し色々な人のインタビューを流さざるを得なくなる。そうすると当然のこととして「安倍元首相を賞賛し、死を悼む声」ばかりが集まることとなる。なぜならいくら日頃対立関係にあろうと、安倍元首相のことが本音では嫌いであろうと、凶弾に倒れた直後に否定的なことをカメラに向かってインタビューで答える人はいないからだ。
そうすると意図しなくても、結果的に「安倍元首相を褒め称える」側面ばかりを強調することになってしまう。
参院選投票日の直前なのに、である。通常時ならまだしも、選挙期間中であるわけだから、こうした「偏った意見ばかりを放送する」ことに、放送局は一番気をつけなければならない時期のはずなのに、である。
さらに、「これまでの安倍元首相の足跡をまとめたVTR」にしても、編集に時間はかけられず、慌てて編集したものだからどうしても内容は表面的な浅いものになってしまう。有識者などに分析してもらうようなインタビューをとることも、そんなにはできない。
しかも、こういう特番で振り返りVTRを長時間放送することには「ライブ感がない」ということで、プロデューサーなどにも抵抗感があるから、どうしてもVTRは短めになってしまう。
結果、「安倍元首相を誉めている内容」ばかりが目立つ数時間となってしまう。これであれば、いっそ夕方のニュースや夜のニュースなどで、きちんと更新情報を伝え、その間は通常編成の番組を放送したほうが良かったのではないかと私は思ってしまった。
安倍元首相の死は大ニュースだから、改めてきちんと後日特番を放送すれば良かったのではないかと思えてならないのである。
喪服を着るべきニュース
(4)各局揃って「喪服」はやり過ぎでは
そして最後に気になったポイントは、細かいことかもしれないが、各局揃ってキャスターたちが「喪服」を着ていたことである。ぶっちゃけ安倍昭恵夫人ですらまだ喪服を着ていない昨日の時点で、「各局横並びでキャスターが喪服」だったのは視聴者の目にはどう映ったのだろうか。私は正直、若干の違和感を感じてしまったのである。
私の経験で言うと、ニュース番組のスタイリストはどの番組でもほぼ必ず「色目が地味なコーディネイト」と「喪服」を必ず用意している。いつどんなニュースが発生するか分からないから、「派手な色味を避けるべきニュース」が発生したら地味な衣装を、そして「喪服を着るべきニュース」が発生したら喪服をいつでも着られるように準備しているわけだ。
では、昨日の場合はどう考えるべきか。果たして安倍元首相が殺害されたというニュースが「派手な色味を避けるべきニュース」だったのか「喪服を着るニュース」だったのかという判断の問題になると思う。
一般論で言うと、通常、有名人が亡くなったからと言って「喪服」を着ることはニュース番組ではまずない。では、多数の人が亡くなった場合などはどうか?例えば最近で言えば「知床の遊覧船事故」の際にキャスターは喪服を着ていただろうか?私の記憶では、多分着ていないと思う。
喪服を着るのは、例えば「追悼番組」のような場合に限られるのではないか、と私は思う。あまり通常「ニュース番組でキャスターに喪服を着させる」という判断はしにくいのではないかとニュース番組のプロデューサー経験者として思うのだ。
果たして、昨日の場合、どのような判断があって各局ほぼ「喪服」ということになったのか。なぜ「知床の事故では喪服ではなかったのに、安倍元首相は喪服だったのか」を放送局関係者はどう説明するのだろうか。みなさんの目には「横並びの喪服」はどのように映っただろう。
さて、テレビニュースの関係者として、「安倍元首相殺害事件報道」に関する「気になったポイント」をお伝えしたが、このことをみなさんはどのように受け止められるだろうか?
多分お考えは人それぞれだろうが、明日は参議院選挙の投票日だから、こうしたことも頭の片隅に置いてぜひ投票に行かれてほしい、と私は願っている。」
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