心と体

2006/07/22

フミナリさんが死んだ!!

2006年7月22日(土)

Sennkou

大正6年生まれの巳年で、満89歳のフミナリさんが数時間前に死んだ。
最近は、通常食が喉を通らずむせて、とても苦しそうだった。
食べ物を飲み込んで食道に送り込む筋肉が弱っているかららしい。
それで気管に入るのを防ぐために、流動食を摂るようになった。
数日前、かなりの高熱を出し、検査すると胸に水がたまっているとのことで、
今日、医者に、肺炎を併発する可能性が大で、超赤信号状態であることを告げられた。

この病院で丸 4年間暮らした。
最初は、家で転んで骨折の疑いで、入院したのが始まりだった。
入院した日は、「オレ、うちに帰る!」といって泊まることを拒否した。
しかたなく、嫁のもーちぃが一緒に泊まる羽目になった。
そして、一日経ち、二日経ち1週間ほどで、病院に慣れたのか、家族に執着しなくなった。
「じぃちゃん、帰るからね!」
『あぁ、わかった!』と自分の居場所がこの病院だと認識したらしい。
入院前から、奇行というほどではないが、真夜中に家を出ようとしたことや、
数キロ先まで歩いて、カゴを押しながら、出先で転んで、通りすがりの人から電話を貰ったこともある、
など、精神状態がそれまでと変化してきた。
精神がまともなころは、一言でいうと「憎たらしいじじい」だった。
それが、自転車に乗れなくなってからおかしくなった。乗ってもすぐに倒れるようになった。
カラダが言うことを聞かなくなってきたことを本人もショックだったらしくて、
そとへでかけることも少なくなり、家でじっとしてるようになった。
その後介護認定を受けると、介護度 3の認定で『ボケ』も進行してきた。
そして、家の中で転んで、入院することになり、今日までの4年間ここで暮らしてきたのだ。
最初の2年間はいつも元気で、病院の看護士さんやヘルパーさんから可愛がられ、
いつも頭をなでて貰うなどして楽しそうだった。
正直、ほっとした。
ここでは、とっかえひっかえヘルパーさんたちと接触しているので、自宅の自分の部屋でジッとしているより
いいかも知れないと思った。
週に2度ほど会いにきた。
「まんじゅう持ってきたか?」『ああ、いつものやつ』
といって、まんじゅうと、おやつを差し入れるのが常だった。
病院ではあるが、老人ばっかり入院しているところなので、老人娯楽イベントもよく催していた。
それが、3年経たとき風呂場で転んで骨折してしまい、それ以来ベッド生活を余儀なくされたのが衰えを増す原因となった。
人間からだが駄目になると、こころもそれ以上駄目になる。
それまでは、面会にいってもすぐに 【倅】を認識してたのに、だんだんと忘れていく。
そして、だんだんと赤ん坊にもどるように、寝ている時間が長くなる。
そして、人生を終える。
でもほんとの人生はとうの昔に終わっていたと思う。「憎たらしいじじいでなくなっていた時に・・・・・」

おつかれさん!≪合掌≫、今夜は一緒に・・・・・


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