人生

2023/11/30

霜月***セピア写真

2023年11月30日(木)

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先日、gataとテニス部に入った切っ掛けが思い出せず「卒業アルバム」を見ようと、仏壇下を探すも小中学校はあるが何故か高校のアルバムが無い、探してるうちに、三世代前のセピア色の写真アルバムや家父長家族勢ぞろいの写真や婚姻写真などなどだ。いずれにせよ、どこの誰だかも分からないので,処分することにした。

全ての写真を剥がして、Iphoneで撮りまくり、デスクトップPCに保存した。その中に、出生の浅草でオイラの母親の婚姻時の日本髪姿があった。昭和18年12月の19歳のフミエさんで、何故か身内の結婚式では皆日本髪を結っていたようだ。その式の写真を見る限り9割がたがフミエさん側の親族が占めて、フミナリさん側はほんの数人の参列で、こころなしかフミナリさん超緊張の様子が窺える。

浅草で乾物屋と長屋を営んでいた家長が亡くなり、小さな弟と母親だけなので、「男手」として婿養子をもらうことになり、戦争真っ盛りで、前年昭和17年には初めての東京空襲もあったなかの結婚式だ。フミナリさんの実家の農家あたりでは空襲は来ないだろうに、よくやってきたと思う。フミナリさん26歳の5男坊で、勝負をかけた「婿入り」だったのだろう。

東京お一族のセピア写真を見る限り、昭和20年の「東京大空襲」前に、疎開したようで、それによる、不幸な話は聞いていない。不幸と言う意味では勝負をかけた「フミナリさん」の野望はあえなく撃沈したが、7つ年下の戸主の嫁の手に乗っかり、そのフミエさんを73歳で見送り、「死んじゃぁお終めぇよ!」と89歳までの幸せな余生を送った。久しぶりのに、両親の生きざまを見ることができた。

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2023/07/21

文月***17年忌

2023年07月21日(金)

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フミナリさんの17年忌だと気づき、いつも閉じてる仏壇を開けて線香を焚き、鈴をして合掌する。オイラが2006年7月16日に槍ヶ岳から返ってきて、五日後の21日、、4年ほど入院してた病院で「誤えん性肺炎」を発症し 亡くなった。89歳だった。

母親のフミエさんが心筋梗塞で73歳で逝ったので、フミナリさんは長生きしたと思う。世間一般ではお爺ちゃんが先に死に、お婆ちゃんは長生きするのが相場なのだが。生来の体の強さなのだろう。

大正6年埼玉県岩槻の農家の五男に生まれ、当時の農家にありがちな百姓仕事だけをしていた。戦時中の様子などわからないままのフミナリさん24歳のころの1941年(昭和16年)12月8日未明において、日本海軍航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である真珠湾攻撃を行った。

そしてそれに対して、アメリカ軍は、1942年(昭和17年)4月18日日本本土の初空襲を、航空母艦ホーネット」などからなる機動部隊を日本本土東方海上に進出させて双発中型爆撃機のB-2516機を発進させ、東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸などをドーリットル空襲を行ったが、日本側当時の「言論出版集会結社等臨時取締法」統制により来襲の報道こそあったが被害状況は伏字により、国民の口にのぼる事もなかったので、一般国民のフミナリさん25歳が知る由もなかっただろう。

第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日に東京都制が施行され、現在の「東京都」が設置されるとともに、それまでの東京市役所の機能は以降は東京都庁に移された。旧東京市35区は、従来どおり議会(区会)をもつ自治体としての性格を保ちながらも東京都の直轄下の区とされた

そしてフミナリさんの身に一大事件が起こり、その冬の昭和18年12月26歳の時に、主が逝去4年後の浅草日本橋の商家に「男手がいる」と婿入りすることになった。それまで戦火の及ばない岩槻の百姓暮らしの彼の心境は如何だったのだろうか?

その心境に分け入ると「まだ東京に空襲が起こるとは思ってもみなかった」だろうし、先の見えない「農家の五男坊でいる」より、「浅草の商家の婿入り」のほうが魅力的だったと選択したのだろう。

しかし、思いのほか早く戦争はやってきた。翌年の1944年(昭和19年)11月24日から空襲はやってきて、読みは狂い、婿先のファミリーの浅草から疎開する決断を受け入れ、しっかり者の7つ下の戸主フミエさん中心の分家として、縁戚あるさいたまに移り、根を下ろすことになった。

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2020/11/25

霜月***三島由紀夫

2020年11月25日(水)

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50回目の憂国忌の朝は今日を待ってたような寒い寒いなみだ雨だ。

《 檄文 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ、落ち込んでゆくのを見た。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。     昭和45年11月25日 》

   *** 合掌 🙏***

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2020/11/23

霜月***樋口一葉

2020年11月23(月)🎌勤労感謝の日 一葉忌

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今日は 124回の【一葉忌】。小説家 樋口一葉は明治5年生まれで明治29年晩秋の今日11月23日あっけなく肺結核で死んだ。24歳と7か月だった。

身近に感じるのは、一葉は17歳で戸主になり20歳で小説家を目指し22歳東京の下町竜泉寺で雑貨商を営みながら、母親と妹のとの家計を支えなければならなくなった環境が、オイラの母親文江も同様に18歳で戸主になり浅草の竜泉寺付近で乾物屋を営まざるを得なかった事など、生年は半世紀ほど違うが何かの縁を感じる。

縁と言えば、一葉の父が東京府の官吏を務めていた時の上司が漱石の父であり、その縁で一葉と漱石の長兄を結婚させる話が持ち上がったが、一葉の父が、度々漱石の父に借金を申し込むことがあり、これをよく思わず「上司と部下というだけで、これだけ何度も借金を申し込んでくるのに、親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない」と言って、破談にしたという。エピソードがある。(夏目漱石の妻・鏡子の著書『漱石の思ひ出』によるーWikipedia)

縁を加えて、50年来の友人に樋口がいて、一葉と遠戚だと言うので、近々竜泉寺辺りで一献傾けたい。

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2016/03/19

なんまいだー‼︎

2016年3月17日(木) 忌引休暇

 

加賀の国で30年パン屋を営んでいた義弟が亡くなり大聖寺に出向いた。
北陸新幹線が開通して待ち時間を除くと2時間半で着いた。改めて新幹線の偉力に感動だ。

 

この町で3度目の通夜と告別式に出たが、我が家の法事で聴くお教と違うようだ。
宗派が違うのだろうと思っていたら、途中から坊さんのお教に合わせて参列者からもお教を唱える声がちらほら聴こえてきた。
そのうちお教の声が増えて大きな合唱となった。親族席から参列席を見渡すとお教の冊子を持っている人もおり、そういえば前回のアヤコさんが90で亡くなったときも、やはり年配の参列者たちがお教を唱えていたことを思い出した。
身内でない地元の人に聞くと、この辺の宗教は親鸞の浄土真宗だと言う。
調べてみたら北陸は殆ど浄土宗系だそうだ。
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南無阿弥陀(なんまいだー)と念仏を唱えれば誰でも極楽にいけると説いた親鸞
この辺の住民達は以前日常的にお経を読むことがあったらしく、年配者なら誰でも読めるらしい。

 

他の宗派との違いを調べてみたら
① 位牌は戒名でなく【法名】になっており、戒名の位号の信士(信女)・居士(大姉)は無く、釈◯◯となっている。Image_4

 

② 「浄土真宗系」では「誰でも浄土に行ける」、死は穢らわしいと教えていないので
葬儀のあと 塩で「清める」という行為に対して否定的なので、塩は置いてない。
③ 僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある(明治まで、表立って 妻帯の許される仏教宗派は真宗のみ。
④ 浄土真宗の場合は、他界後すぐに「仏様」になるので、表書きは「御仏前」で。
⑤焼香の作法は抹香をつまんで香炉に入れるとき、額の位置で"香をいただく"という動作をしない。また、線香は折って横にねかせてそなえる。
・・・・・・等々結構な違いがあった。
事前にその事情を知らなかったので大間違いしたようだ。

 

 

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2013/12/16

なりふみの結婚式

2013年12月14日(土) 沖縄 恩納村


午前中に恩納村のホテルから万座毛まで左手に海を眺めながら走る。
ほどよいアップダウンがあり、いいランコースになった。
道路沿いに人気配もないので土曜日とは思えない、真冬の沖縄はこんなもんなのだろう。
万座毛の景色も曇りなので、イマイチだ。Photo_2

ホテルでシャワーを浴びて、ベランダで少し明るくなった海を見ながらビールと沖縄そばを喰い、昼寝をして、結婚式までの時間をつぶす。

結婚式の本番の夕方4時には雲も厚く、風も強くなり、ヤシの葉が踊ってきた。
屋外の式場に両家の参列者が集まり、神父による結婚式が始まる。Nc_2

気温も下がり、ウェディングドレスのお嫁さん には気の毒だ。
約30分の式が終わって、披露宴が始まり、4時間の結婚式があっという間に終わるほどのとてもいい式だった。
幸せになってほしい!

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2008/01/19

20年前の新聞記事が遺品!!

2008年1月18日(金)


訃報が下関から届いた。Kannnonkyo


九州の百名山 久住山、八ヶ岳、そして青梅の御岳山を一緒に登ったマサオさんが、ガンで亡くなった。
厄払いした当日の夕方だった。
一年前に、医者から半年の命と診断されたが誤診ではないかというくらい、普段と変わらない体調がつづき、あっという間に半年は過ぎた。その間、すきな近隣の山登りなどしながら過ごしていた。
そして1年後の正月に風邪らしいと入院したが、たいしたこともなく過ぎて、この1週間前に一気にガンが暴れまくり、そして15日の午後、静かに静かに息をひき取った。
まだ64歳だ、死ぬにはまだまだ早い歳だったが、聞くところによると別段、痛みにそれほど苦しむこともなく、
逝ったのはある意味で、よかった。・・と家人が言っていた。

翌16日の通夜で顔をみると、とっても穏やかな顔をしていて、こちらもある意味ホッとした思いがした。

葬儀後、遺品の中から1枚の新聞の切り抜きが出てきた。
それは、20年ほど前の九州高校駅伝大会の結果の記事で、上位2校の争いになり最終区でそれまで1位だった高校が最終区間で抜かされて優勝を逃したと報じていた。記録的には2位までが大会記録更新とも・・。
そして、記事では、抜かされた選手が泣きじゃくり、仲間から励まされていたとも書いてある。
その泣いた選手の父親がマサオさんである。

泣いた選手は、その後、大学へ進学してあの長距離ランナー憧れの【箱根駅伝】を走った。
優勝はできなかったが、マサオさん九州から応援に出かけた。

でも、マサオさん自身のマラソン関連の話は聞かない。山歩きが好きとは聞いているが、足が速かったとか、ランニング指導したりとかまったく聞かない。だから余計に子の活躍が嬉しかったのだろう。
だから、20年前の新聞の切り抜きを大事にしまっておいたのだろう、冥福を・・・・合掌!!

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2006/07/29

シチ×シチ×シジュークまで!!

2006年7月29日(土)

一週間(シチにち)が経った。あと六週間までが、【忌中 】で、フミナリさんが冥土へたどり着く
期間で、それまでは線香を絶やさず、「ナムー!!」と祈る。

聞いてはいたが、娑婆での後始末が結構世話で、区役所へ行ったり、社会保険事務所へいったりと
公休日のほとんどがそれに費やされる。

来週いっぱいは、後始末に追われそうなので、その後、梅雨も明けるだろうから涼しい山へ弔いに行こうと思う。

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2006/07/25

娑婆最後の日!!

2006年7月26日(水)

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おとといの通夜、そして昨日の告別式を終えたあと、浦和の火葬場で荼毘に付され、
1時間後、跡形も無くなりそこへ残った軽い骨だけが、【89年の人生がやっと終わった】と物語る。

かたわらでは、まだなあにも解っていない4歳のseiちゃんと、1歳のkeiちゃんが、不思議そうに骨を見る。
この子達はいったいいくつまで生きるのだろうか?

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2006/07/22

葬儀スタイルは家族葬にした。

2006年7月22日(土)

フミナリさんが家に戻って二日目。

午前中に、葬祭業者との見積もり説明を聞く。
すでに昨夜から、業者とのかかわりが始まっている。
死亡した患者はいつまでも病院へは置いておけない、だいたい2時間位までなので、
病院で紹介してもらうか自分の関わっている業者に依頼するかを選び、自宅へ連れ帰るのだ。

僕の場合は後者を選び、以前母親の葬儀にお願いした業者へ連絡した(時間は問わない)。
自宅へ搬送してもらい、床をしつらえ、来客に線香を上げてもらう段取りの一切を行ってもらう。
すでに夜中の2時を回っていた。

そして今日、まず打ち合わせの前に、夕べ、フミナリさんの体に乗せたドライアイスを交換する。
もちろん夏なので、常に冷やしておく必要があるからだ。加えてエアコンも稼動させておいた。
線香とろうそくの火は絶やさない。

今回の葬儀は予てから考えていた【家族葬】で行うことにした。
フミナリさんの子供である、僕と姉、そしてその家族とフミナリさんの義弟夫妻の5家族の10数名だけだ。
隣近所へは、その旨を伝えておくつもりである。
故ふみえさんの時は、僕の仕事関係者なども参列していただいたが、なんとも複雑な思いがしたものだ。
母親の葬儀でありながら、母親となんら関わりのない方が参列していいものか?と。

そんな思いが常にあったのと、まったく友人・知人などの交友関係が無いフミナリさんの葬儀なので、
じっくりとフミナリさんの話を、良く知った家族だけで、あーでもないこーでもないと言ってあの世へ送り出してやるのも言いかと思い、勝手に決めた。
親戚にも連絡しないの?との声もあったが、説明して納得してもらった。

祭壇に飾る生け花の、贈り主名を入れたボードも止めにして、花だけを飾ってもらうことにした。

我が家はお寺さんを持っていないので、通夜・告別式の読経依頼を業者に依頼し、戒名をもお願いした。
一式で35万円とのこと。仏の弟子になるのも金がかかるのだなぁと、思いながら母親にしたのに父親にしないわけにいかないので、お願いすることにした。
結局、見積もり合計は、お寺さん35万とは別で50万になった。

先んじて、船橋の二家族と、叔父がフミナリさんに逢いに来てくれたので、
葬儀日程が月、火と決まったことをを伝える。


今夜もフミナリさんの横で、休むことにしよう。


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